黄 珉淑(精神科医 我孫子メンタルクリニック主宰)
2007年6月25日最近、ニュースが面白い。ある日のNHKニュースで、いまどきの学校の先生のお仕事を紹介していた。何と最 近は先生が目覚まし時計代わりに児童を電話で起こしたり、放課後自宅に帰らない子どもを親にかわって捜さないといけないらしい。まるでベビーシッターだ。 トイレに行く時間もなく携帯電話を片手に忙しく立ち働く先生の姿を見て、少々腹立たしい気分になった。これが先生にさせるべき仕事なのか?子どものしつけ を平気で押しつける親はどういう親なのか?医師ですら過労死が問題になり労働基準法を適用すべきか議論になっている今日この頃である。時間外も拘束される 先生の人権はどうなっているのか?
「最近は親の学歴も高くなっていますからねえ。あまりにも言ってる事に問題がある親御さんには注意しますけ ど、現場の教員への父母の要求は多くなるばかりです」。ある小学校の教頭先生がぼやいていた。私が小学生や中学生の頃は学校の先生は偉かった。学校は勉強 を教えてくれる所で、先生は教育の専門家であるのは自明であったため、学歴の高い親でも先生のすることに文句を言わなかった。いつから親のほうが先生より 偉くなったのだろうか?最近の親は恥というものがなくなった。学校が子どもに公共性や公徳心を教えようとすると先生に文句を言い、家庭で実践すべき基本的 なしつけを「学校がしてくれない」と文句を言う。現場の先生はどんな気持ちで仕事をしているのだろうか?
「文部科学省が『ゆとり教育』に方針転換し、学力向上と競争原理を排してから教員の専門性が価値下げされる ようになった」、という話をしばしば聞く。「ゆとり教育」が生み出したものは学習塾の盛況と親の経済的負担の増加だという。組織が構造的な機能不全に陥っ た時、理念が一人歩きし、リアリティーを失う。ニュースが一般的な学校の風景を映しているとしたら、状況は末期的と思われる。
このような中で、学校の先生が職業的アイデンティティーを保つのは非常に困難だろう。事実、統計上、不適応 を起こす教員の数は減少する気配がなく、適性に問題のない教員でも現場から逃げ出す現象が起きている。教育理念の実践は、今日では非常に困難な課題となっ ているが、個人の自己実現や幸福のみならず、将来の社会人育成や国力に関わるだけに大変重要なのである。
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