奥井 禮喜(月刊ライフビジョン発行人)
2008年1月24日子どもの学力低下を問題にする論調が少なくないが、社会人の古手に入った私の眼にはいかにも納得しがたい。 どう見ても古手より若手のほうが勉強の知識は進んでいるし、私が展開している通信講座に送られてくる若手の報告書は、私らが若かった当時と比較すれば格段 に立派な内容である。そもそもかつては、気軽に原稿を書く人が多くはなかった。産業界の意見は学校社会に対しておおいに学力を要求するが、私の体験から言 うならば学校での勉強が社会人になってそのまま通用するなんてことはありえない。そもそも狭義の専門学校ならいざ知らず、学校教育において産業人教育を完 璧にやってのけるなんてことができるものでもないし、やるべきでもなかろう。
われわれが生きる世界は森羅万象ことごとく無常である。変化して停止することのない状況・環境において、人 は常に変化への対応を迫られる。そこで戸惑いが肥大すれば、人はいわゆるIdentity crisisを発生させる。人は習慣の生き物であって、習慣を変更するのは容易ならざる挑戦である。いわば習慣の変更は今までの自分を否定し、脱皮しなけ ればならないのだから当然である。いかに学校教育において先進的知識技術を学んだとしても、所詮、それらは時間の推移によって老朽化する。生涯教育が喧伝 される所以である。
最近の社会人は自分の意見を明確にしない傾向が強い。多くの職場においてcommunicationがよろ しくないのは当然である。それは潤滑油ではなくて物事の本質の表現であるが、意見を明確にしないのだからそれが上等になる訳がないのである。自分の意見を 明確にしないのは、世渡り技術でもあろうが、厳しく言えば「自分がない」のである。つまりIdentityがないのである。ちゃらちゃらと「個性的に生き る」などの言葉はよく聞くが、実は没個性的な人のほうが圧倒している。
個性がないから、意見を明確に発表できない。どこかに正解がないかと探すことにばかり熱心である。いかに学 校教育でしごき上げて勉強させても人生の正解のすべてを教えられるものか。すべて算数の正解が存在するかのような錯覚に陥っていることこそが、学力低下の 核心である。テスト至上主義は間違いなく間違いである。
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