なだ いなだ(作家)
2008年4月25日学力などといっているより、学校では、大人になることを教えてもらいたい。それにはまず、教える方が「大人 とは何か」をイメージできなければならない。そういうとなんだか難しいことに思ってしまう人が多い。だが、簡単に考えればいい。「大人」の定義をしような どと思うから難しくなる。素直に考えるのだ。「アイツはまだ子どもだなあ」ということがあるだろう。そのときに、自分がどんなモノサシを持って、そういう セリフを口にしたかを考えればいいのだ。例えば、自己中心的な人間と、そうでない人間と見比べれば、後者の方が大人に見えるだろう。あるいは自分が、かつ ては自己中心的だったが、大分、他人のことを考える余裕が出てきたと思うなら、自分は大人に成ったのだ。人の話を聞けない人間と、人の話に耳を傾けること ができる人間と、どちらが大人と感じるか。もちろん後者だろう。今のことしか考えられない人間と、先のことまで考えることのできる人間と、どちらが大人 か、もちろん後者だ。
そのように自分に問うてみるがいい。答は簡単に出るはずだ。また、寛容な人間と非寛容な人間と比べたらどうだろう。子どものときに寛容でありえただろうか。
こういう風に、問いかけていけば、大人のイメージが、すでに自分の中にあることが分かるだろう。英語の国では、ジェントルマン(紳士)のイメージだろうか。東洋だったら、君子だろうか。かつては、自分は小人であると意識し、そこから努力し君子を目標に育っていった。
子どもの方が創造性がある。大人になると消えていく傾向がある。しかし、創造性豊かな人間はしばしば型破りであり、社会性に欠けているという問題がある。だが、その人たちを寛容に受け入れるのが、大人の社会でもある。
大人になることは、人を見る目と大いに関係する。ちょっと行き詰ったら首相(本人も大人でないが)の職を放 り出すような人を選んだのは大人とはいえない。学力ばかり考えている大人は、視野が狭い。人間の総体を見られる人間の視野は広い。視野の狭い人間と広い人 間と、どちらが大人か。今の、学力重視の教育改革の提唱者の幼稚な議論を聞いていると、大人になれない大人が増えたなあ、と慨嘆したくなる。つくづくと現 代の子どもの不幸を思う。
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