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格差・不安定社会を越える
第3回 学校現場と正規・非正規(中)
龍井葉二(連合非正規労働センター)

前回は、中小企業に生徒たちを引率していった教員の発言を紹介しながら問題を提起してみたが、実は、事態は もっと深刻化しているといわざるを得ない。ここまで雇用を取り巻く状況が悪化してくると、失業者になったり、非正規労働者になったりするリスクは、誰に とっとも回避できないものとなっているからだ。

「ちゃんと勉強」することを通じて、いい成績→いい学校→いい会社→いい生活→いい将来…といった神話が崩 れつつあるだけでない。仮に、首尾よく「いい会社」に辿り着いても、そこで待っているのは過酷なノルマと超長時間労働であり、心身を磨り減らした挙げ句に フリーターへの道を余儀なくされるというケースも少なくないのだ。

この間の非正規労働者の増大は、日本の雇用システムが変調を来し正社員が減少し続けた結果なのだが、前回にも触れたように、失業者や非正規労働者となることが、すべて「自己責任」と思い込ませる仕組みが強化されつつある。

それは、例えば、問題を個人の意欲に仕立て上げる「自立支援策」であり、あるいは、個々人の特性に関わるこ とを装いながら、結局は個人の内面や育ちに還元してしまうカウンセリング手法にも見て取ることができる。それらは、問題の所在が社会システムにあることを 隠蔽する巧妙な仕組みといっていいだろう。

いうまでもないことだが、こうしたワナから脱することは、「悪いのはすべて社会」という論法に与することではない。ただ、問題の所在を明らかにし、解決策を探っていくためには、まずは自己責任の呪縛から解き放たれることが不可欠となる。

だれもが失業者になり、非正規労働者になりうるという世の中を与件とした場合、そこで求められるのは、狭まる一方の成功者をめざす教育ではないことは明らかだろう。また、「働くことの意味」やまともな「職業教育」だけでも不十分だと思われる。

いま必要なのは、どんな事態になっても怯まず、対処していけるエネルギーと知恵。そうした生命力と問題解決能力なのではないか? それも、孤立した個人としてはなく、お互いに問題を共有し、助け合い支え合うものとして。 

問題にぶつかったら一人で抱え込まずに分かち合う。人に話しかける。人の話に耳を傾ける。違う意見の人とも 対話をする。わからないことは人に尋ねる、調べる。意見の違いを整理する、調整する。自分たちの思いを人に伝える、広める。仲間をつくる。みんなで分担す る。相手と交渉する、説得する…。

こうした類の“基礎体力”は、将来の「職業教育」という以上に、いま生きている子どもたちにこそ必要とされている課題だといえるが、いまの“メール文化”のもとで、ますます減退しつつあるのだろう。

前回提起した、いまの状況を克服するための残された道は、自己責任論に代わる相互扶助の文化を対置する以外にないと思うのだが、どうだろうか?

(つづく)

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