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格差・不安定社会を越える
第4回 学校現場と正規・非正規(下)
龍井葉二(連合非正規労働センター)

自己責任論に代わる相互扶助の文化、そのための基礎体力さて、問題はここからだ。いまの学校に、いまの教職員にそれらを伝えていくことが果たして可能なのか? むしろ、自己責任論の方に荷担してしまうのではないか?

そういう意味で、「企業が求める人材に向けて自らを変質させる」教育ではなく、「市民教育としての普通職業 教育」に向けて、「異質なものとの出会いを通じて自らを鍛えていくこと」や「関係を築く力」「社会をつくる力」を重視するという日教組の提言は、とても頼 もしい(高校カリキュラム改革研究委員会『競争から関係へ』など)。また、「人々がつながり、教え合い、学び合う地域」という視点で、学校を公的な場とし て位置づけ、「地域の労働者や労働組合の協力」を求めていくという提起も重要なことだと思う。

そうした、異質なものが同居する開かれた共生の空間のなかにしか、いま失われつつある「一人の人格として承認される場」は培養されないからである。

そこで、あえて問いかけてみたい。

では日教組自身はどうなのか? 異質なものとの出会いを通じて自らを鍛え、社会をかえる力を発揮し得ているのか? 人々がつながる地域づくりに向けて、地域の労働組合との協力の推進役になり得ているのか?

これは、単なる挙げ足取りで言っているのではない。相互扶助のための基礎体力という課題は、教科内容として カリキュラムにどう組み込むかという以上に、教職員たちが日常活動のなかで自ら体現する、その姿が子どもたちにも自ずと伝わっていくという性格のものだと 思うからである。そうした基盤があってこそ、カリキュラムにおける実地教育によって文字通り体得されていくと思うからである。 

昨秋に連合の非正規労働センターを担当して以来、絶えず強調してきたことがある。それは、労働組合運動とい うのは会員制の閉鎖的なものだが、労働運動というのは、すべての労働者の視点に立った社会運動だということ。とりわけ、非正規労働問題については、社会運 動の側面が求められており、正社員・本工中心で組織されてきた労働組合の自己改革が求められているということでる。

いまの閉塞的な状況を、子どもたちや親たちとともに乗り切っていくには、職能組合・本工組合としての枠組みを超えて、地域づくりの担い手として、地方連合会や地域協議会運動の主役を担っていくことが、日教組に求められているのだと思う。

確かに、日教組は選挙に強いかもしれない。しかし、十年後もこの力が保持されている保障はない。その帰趨は、社会運動に脱皮できるかどうかにかかっているといえよう。

そうなると、当面の社会運動のメインスローガンは何か?

繰り返し強調してきたような、誰もが失業者や非正規労働者になりうる状況に抗していくためには、「教え子を使い捨てにするな!」で決まりだと思うのだが、どうだろうか?

(おわり)

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