奥井 禮喜(月刊ライフビジョン発行人)
2009年2月3日こんなご時勢だから、基本中の基本を書いておきたい。「組合に入るか入らぬかは個人の自由、カラスの勝手」という人が少なくないらしいが、とんだ心得違いである。なぜか。
民主主義、皆が平等の市民社会は契約自由の社会である。個別的労使関係を考える。いわく、雇う側は必要なと き雇い、不要になれば解雇する。雇われる側は必要なとき勤め、不要になれば辞める、というのが契約自由である、しかし現実に、雇われる側の「辞める自由 は、メシが食えなくなる自由」なのである。だから大概の諸君は、辛い仕事、嫌な人間関係であっても、じっとがまんして働く。雇用される立場の弱さが、長い ものには巻かれろという事大主義、おいらが声を出して目立たなくてもという横並び主義、さらに心がどこかへ消える官僚主義の温床でもある。
働く人は個別的労使関係においては決定的に非力である。契約自由と言いつつも、実は看板だけに過ぎない。そ こで組合を結成し、団体的労使関係を通して労使対等を築こうとする。かくして極論すれば、雇用関係があるところでは組合は必ず存在しなければならないし、 働く人は組合に必ず加入しなければならないのである。そうしなければ雇用関係における民主主義が育たないのである。
組合は働く人々が自主的・自発的に結成しなければならない。目下、わが国の組合組織率は19%である。戦前の組織率最高は1931年の7.9%、戦後1949年が55.8%と史上最高。
ただしこれはGHQのご祝儀相場だ。今の組織率はお世辞にも高いとは言えないが、とんでもなく低いものでも ない。なんせ組合員ざっと1,000万人もおられる。組織率が低いから社会的影響力が少ないのではなくて、1,000万人もいて社会的影響が少ないことを 問題にせにゃならぬ。
戦前は「働かせていただく」のであって、「働く権利」を獲得したのは敗戦後である。民主主義は基本的人権ん が基盤だが、それは生活できてこそ確立するのであり、つまり基本的人権は働く人においては「雇用確保」が不可欠である。かくして雇用が揺らぐ社会とは、民 主主義が揺らいでいることと同義語なのである。
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