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第3回 平均点とはなにか |
ぼくが中学生のとき、校長室に乗り込んで「平均点とはなにか」「平均点で順位を決めることの意義」について議論を吹っかけたことは、もう何度も書いてきた。どういう議論だったか、ぼくの本を読んでいない若い人も多くなったので、ここでもう一度紹介する。
「校長先生。農家が家畜を飼っています。馬が5頭、山羊が3匹、豚が4頭、ニワトリ(しゃも)10羽。この数字だけ足すことに意味がありますか。さらにその数字を4で割って、農家の平均家畜保有頭数などと呼んで比較することに、意味がありますか。数字が大きいものの方から順位をつけて、農家の豊かさの順位だということができるでしょうか。それと同じことが、この学校で今行われています。英語の得点と算数の得点と国語の得点などなどを足して、平均点を出しています。それを基に順位を決めています。これは無意味です。無意味だと、この学校の算数の授業で教えています。それは算数の基礎です。それなのに、そう教えた学校が、内申書にその平均点を書く。おかしくはありませんか。英語100点国語50点の平均と英語50点国語100点の平均点数字は同じですが、何が同じなのですか。こんなナンセンスを算数の時間には否定していながら、同じ学校でそれをやっているのはヘンです」
ぼくは生意気な生徒だと思われただろう。後で、校長のぼくに対する評価を聞いておけばよかった。この校長は、ともかく生意気な中学生の話を、校長室でゆっくり聞いてくれた。ぼくは今になって、その点で、偉い人だったなと思う。今だったら、強情に返事をくれと突っ張っていたら、体操の先生のような屈強な人が呼ばれ、校長室から腕力で排除されてしまうのではないだろうか。
校長先生はすっかり聞くと「お前の言うことは正しい。学校のやっていることは間違っている。だが、世の中学校全体が、その間違ったことをやっているときは、わが校だけ、それを止めるわけにはいかない。世の中全体に止めるようにさせることは、おまえの考えているよりも難しい」と答えた。これは、ぼくの数学的疑問に答えるものではなかったが、人生の説教をしているつもりだったのだろう。校長は修身の科目を受け持っていた。
それから60年以上、世の中は、平均点での入試を続けている。センター試験の導入から、もっと大規模に行われるようになった。80歳になるまでの間に、こうして選ばれたエリートたちを、しばしば、こころの病になった人として診た。
そしてこれらのエリートのこころに欠けているものを感じた。人格の成熟だ。人間は若い時に人格的にも成長しなければいけない。しかし平均点を上げるという努力に、青春の時間の全てを費やしてしまって、かれらはそのために時間を割けなかったのだ。そして成長するには病気になることが必要だったのだ。
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