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第10回 魔女は被害者なのだ |
テレビドラマあるいはテレビショーでは、魔女は力を持った女性だ。だが、歴史的には男性中心の社会では迫害の対象だった。魔女はあっても魔男という言葉がないことからもそのことは分かる。魔女は被害者だったのだ。それは現代でも続いている。
最近も、こんなことがニュースになった。メキシコの寒村で、隣の女性を魔女と思い込んで殺した男が、8年間逃亡した末に、そろそろ皆も事件を忘れた頃だろうと思って戻って来た。だが警察は忘れておらず、即刻御用になった。
なぜこれがニュースになったか。世の中にはなんとまあ、まぬけなやつがいるんですね!と笑いのたねにするためだ。こぼれ話ネタに分類されるニュースである。
世界は広い。どこも日本のようだと思うのは間違いです。メキシコのように、時効という法制度がなく、世の中の人間が、事件を忘れたら、それが時効という国がある。おおらかな国だ。羨ましくありませんか。
ジャーナリストは、そう話題にするつもりで取り上げた。
ぼくもその雰囲気に呑み込まれて、ニヤニヤしかけたが、書き足された数行の上に目が止まった瞬間に、笑いも止まった。メキシコでは、今でも、毎年一人くらいの割合で、魔女と思われて殺される女性がいると書かれているではないか。
そもそも魔女とは、男を狂わせ、悪に向かわせる存在として、狂った男性を被害者に仕立てるために作られたのだ。メキシコからのニュースを選択した日本の通信社は、それに気がついていなかったようだ。
ニュースとして扱うなら、毎年魔女と間違えられて殺される女性がいることをニュースにすべきではなかったか。殺される女性の身になってみるがいい。笑って済ませるような問題ではない。
日本の狐憑きについては、すでにこの欄で書いたことがある。狐の超能力なんて迷信に過ぎない。そう民衆を啓蒙した結果、狐憑きはゼロになった。狐憑きの場合も、良家の子女に狐を憑けると怖れられた人々が、実はいわれなく差別に遭った被害者であった。狐憑きは啓蒙運動のおかげでゼロになった。メキシコだって、魔女など存在しないという迷信打破の運動をするべきなのだ。信仰の自由は認めねばならないが、人権のためには、迷信を認めるわけにはいかない。
これは、面白いといってすむようなニュースではないのだ。人権活動家よ、なにをぐずぐずしているのか。ぼくは、そういって、尻を叩きたい。
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