![]() |
第13回 《なんで私が東大に!?》 |
東京でJRに乗ると、《なんで私が東大に!?》という広告が目に入る。某進学塾の出した本の宣伝だ。ぼくが東大出でないものだから、なんだか目障りである。そして世の中にどうしても東大出なければダメという「東大コンプレックス」という病気があることを確認する。こんな広告が目障りなら、ぼく自身がその病気に罹っていることになる。ぼくは受験勉強嫌いで、受けたって東大には合格しそうもなかったから、受験しなかった。「東大になど、いってやるものか」と意地をはった。そして慶応を受験した。これが東大コンプレックスの治療法でもあった。
ぼくの長兄は東大を出た。すでに世を去ったからいうが、頭はよくて、勉強はよく出来て、手も器用で精巧なプラモデルを作ったが、どういうわけか、りんごの皮だけは剥けなかった。なぜならりんごの皮は、母親がやったように、くるくると一本のリボンのように剥かねばならぬものと信じていて、途中で皮のリボンが切れたら失敗と思うからだった。「皮なんか途中で切れてもいいだろう、食べるために剥くのだから」と弟のぼくがいっても、自分では剥かず、死ぬまで家では奥さんが剥いてくれるりんごしか食べなかった。ここまでりんごの皮の剥き方にこだわるのは《ほとんど病気》だ。ぼくは兄をからかって、新しい「東大コンプレックス」の治療法にした。
つい最近のことだが、新しい東大コンプレックスの治療薬が加わった。隣の席の議員の投票ボタンを押して参議院議員を辞職した若林正俊元議員の例だ。かれは東大法学部の卒業生で、農林省に入ったキャリアだ。省内でキャリアを上り詰めて次官になるよりも、途中で政治家に転身して大臣になるコースを選び、自民党政権で、農水大臣を何度もつとめた議員だ。一流の政治家の経歴ではないが、超二流くらいの経歴といってよい。そのかれが、本会議場で隣の議員の投票ボタンを押したのだ。
すぐに自分の失敗の重大さに気がついたのはさすが東大出だ。議員辞職の決断も早かった。「魔がさした」と弁明したが、その時だけ魔がさしたのだろうか。それとも大臣をやっていたときも、今と同じように《常識》のない人物だったのだろうか。かれは《なんで私が東大に!?》という広告のように、入ってビックリの東大生だったのだろうか。東大に入っても終りがあれではと、東大コンプレックス治療のために貢献するのは確かだ。
|
|
|























