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第17回 強迫という現象 |
何か考えようとしても、別の言葉や考えが、それを押し退けて頭の中を占領してしまう。それを心理学では《強迫》というのだが、漢字の国日本では、《脅迫》という別の同音異義の言葉に押されて、しばしば混乱の元になる。ある和仏辞典で強迫を調べると、完全に間違った訳語が出てくる。被害妄想の意味の訳語がおかれている。
さて、今、娘の一人が夏休みで、三歳の孫娘を連れて来ている。この孫が「おっぱいがいっぱい」という歌が大好きで、自分も歌うし、歌の入ったCDをかける。茶の間も応接間も車の中も、この歌でいっぱいだ。
それだけでなく、ついにぼくの頭の中まで「おっぱいでいっぱい」になってしまった。八十超えたジジーにはそぐわぬと思えばますますしつこく、頭の中でこの歌が鳴る。文章を書こうとしても、知らず知らずに、変なところにおっぱいの文字が顔を出してしまう。校正には倍の注意が必要。さらに頭の中からあふれ出して、つぶやきにも出てくる。あれ何をおれはつぶやいているんだ、と人前で気がついて赤面する。
近々、先生たちを前にして某県で講演をすることになっているのだが、「皆さんこんにちは」と挨拶しようとして、無意識に「おっぱいがいっぱい」といってしまったらどうしよう、と心配になっている。女の先生が大多数を占めるようになってきた昨今、女性の聴衆が多いに違いない。その前で、こんな間違いをしたら、話題になっちゃうな、と心配でたまらない。
だが、孫と一緒の日々は、まだしばらく続く。ということは「おっぱいがいっぱい」が、まだしばらく続くということだ。しかもこの孫、フランスで暮らしているので、まわりは全部フランス語、意味が分からなくて歌っている。「おっぱいにちゅっ」なんて歌も歌うので、変な誤解をしてしまった。最近の子どもの歌にはこんなポルノチックなものまであるのか、けしからんと憤慨したら、親が割り込んできて「《ほっぺにちゅっ》よ。この子、《ほっぺ》を《おっぱい》と間違えて歌っているの」と、のたまわった。そうだよな、いくら子どもの歌だって、「おっぱいにちゅっ」はないよな。うふん。
この数日、強迫は進行し、夢にまで出てくるようになった。たくさんのおっぱいに攻められて窒息しそうになって眼が覚める。まだしばらくはおっぱいとの戦争のような日々が続くだろう。
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