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第18回 儒教と縦割り思想 |
百歳以上の行方不明者のニュースが、ぼくがこの文章を書いている現在、毎日のように新聞テレビを賑わしている。戸籍上まだ生きていることになっている人がどんどんさかのぼって、ショパンと同年という人まで出て来たのには驚いた。戸籍係というのは、疑問を持つことを忘れた人たちだったのだろうか。責任を問われないことが分かった今は、面白がって、長寿者記録を戸籍簿の中に探す競争をしているようだ。
ニュースに傑作というものがあるのなら、これはまさにそれだ。最近笑えるニュースなんてあまりなかった。今回は十分楽しませてもらっている。こんなことをいうと、「不謹慎な」と眉をひそめる人が、きっと出るだろう。出てもいい。
さて、年寄りを大切にする儒教の国だった昔の日本が、と慨嘆するような人が出て来て、またまた面白い。儒教なんて江戸時代の将軍お抱え学者の議論を、今の新聞がなんの疑問も持たず取り上げる。疑いを持つことを忘れた戸籍係と、どっこいどっこい、だ。
儒教は日本の封建時代を支えた道徳だ。いわば、縦割りの道徳だ。親は子を育て、育てられた子どもは親に恩返しをする。これでは公共という観念が芽生えない。お家大事という家エゴイズムがはびこる。
例えば、子どもがニューヨークに出張を命じられる。親孝行の息子は、親を連れて行こうと思う。しかし、親は、「わたしはそんなところに行かないよ。友達もいないし、言葉も通じない。勝手に一人で出張しなさい」と拒む。それでは留守中の親の身に何か起こっても、親の面倒が見られない。出張すれば親不孝となるのか、子どもが悩む。
「わたしの面倒をみるなんて、いっていないで、いいから出張しなさい。恩を返してもらおうと思ってお前を育てたのではないよ。そんなケチな親と思うか。育てたのはいわば無償の行為だ。お前の人生を、恩返しなどというケチな考えで犠牲にしなさんな。いいチャンスじゃないの。その代わり、向こうで暇ができたら、あっちの年寄りの世話をするボランティア活動に加わりなさい。わたしはこっちで他人の善意のお世話になるから」。そういう会話が交わされるのが現代だ。
つまりそういう社会がくるために、封建社会の縦割り道徳は、横の連帯という新しい道徳に取って代わられたのだ。お役人の縦割り思考を批判しておきながら、新聞が《儒教》だなんて!やっぱり面白いニュースだ。
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