HOME 子どもと教育を考える ゆたかな学びに向けて

ゆたかな学びにむけて

社会・子どもをとりまく課題について

社会の変化を背景に、対人関係の孤立化や情報モラルの低下、自己肯定感や自己実現の欲求が満たされていないなど、子ども・若者をとりまく課題は複雑化・深刻化しています。また、学校現場では、教育条件整備や入試改革がすすまない中、国際社会・情報社会に生きる子どもたちにとって必要な平和・人権・環境・共生の教育は十分とは言えず、「点数学力」を競い合うことや互いの人権が大切にされないことなど、多くの課題を抱えています。教育は本来、社会全体が責任をもち、共同してつくりあげていかなければならないものであるにもかかわらず、昨今「教育はサービスとして享受するものである」という消費者的な発想が社会に蔓延しつつあり、家庭・地域と学校の間で信頼関係が築きにくい面もみられます。

教育の目的は「人格の完成と平和で民主的な国家・社会の形成者の育成」とされています。市民社会を形成していくために教育は重要な役割を担っていますが、それはけっして一方通行に考えを押し付けるものではなく、子どもたちが、学校生活や学び合いの中で、互いの考えを交流することによって、獲得していくものでなければなりません。また、今の社会では、「悪者さがし」「責任追及」「社会罰」という構図が当たり前のようになり、結果として事象をなくすために厳罰化することが支持される事態になっています。互いに監視し合い、責め合う社会に「ゆとり」や「ゆたかさ」はありません。互いの人権を尊重し合う市民社会を形成するために、「子どもの権利条約」を生かす学校づくり・地域づくりが必要です。

私たちがめざすゆたかな学びとは

一人ひとりが互いの人権を尊重し合い、平和と環境を大切にする社会を築くために必要な知識・感性・判断力を、学びあいの中で獲得していく過程のこと。

互いの思いや考えを交流するために必要な言語や表現、公式や定理、史実、技能など、「どの子にも必要な学力」を主に学校において身につけることと、一人ひとりの子どもが「その子にとって必要な学力」を、家庭・学校のみならず地域社会において伸ばしていくこと。

一人ひとりの子どもが、将来に対する夢や希望、自己肯定感、思いやリをもち、自分の生き方を問い続けること。

ゆたかな学びについて

子どもにとって「学び」は、市民社会の中で多くの人々とともに生き、未来に向かって歩むために必要なものと考えます。そして「学び」によって身につける「学力」は、憲法の理念を実現することにつながり、平和・人権・環境・共生を尊重する社会を主体的に築いていく力となるものです。その基盤となるものが、基礎的な知識や技能を身につけることや「人間関係づくリ」であり、それらは、子どもの権利条約に基づいて、学校をはじめとする教育の場で、教職員を含む大人によって保障されなければなりません。

学習指導要領改訂のねらいに対して

学習指導要領改訂の基本的な考え方に対して

中教審では「生きる力」の必要性について「文科省と学校関係者、保護者、社会との間に十分な共通理解がなされなかった」ことを課題としていますが、入試改革がすすまない現状では、いくら「共通理解」の必要性を唱えても理解を得ることは極めて難しいことは明らかです。「受験学力」「点数学力」からの脱却を図る具体的な施策を早急に講じなければなりません。

「総合的な学習の時間」の縮減・総授業時数を増やすことに対して

授業時数の削減によって、教科学習において実験・観察やレポート作成等の「知識・技能を活用する学習活動」が十分ではなかったとして、「総合的な学習の時間」を縮減し、国語、社会、算数、数学、理科、体育、外国語の標準授業時数を増加させるとしています。一人ひとりの課題意識から学習が始まり、様々な探究活動によって展開される課題追究型の学習にとって、それを支える体制づくりが不可欠であり、30人以下学級の実現を優先すべきです。

「教えて考えさせる指導」の徹底に対して

中教審では、「子どもの自主性を尊重する余り、教師が指導を躊躇する状況があった」ことを課題としていますが、むしろ、課題とすべきは「教職員の主体性」が確保されていないことです。様々な教育課題が山積する中、十分な教材研究もできず、いわゆる活動や授業を「マニュアル化」してしまい、さらに学力テストや学校選択制等の導入により「教師に教えさせて子どもに結果を出させる」教育となっています。子ども・地域の実態に応じたカリキュラムづくりが求められる中、教職員の主体的な教育研究活動の充実が必要です。

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