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制作制度要求と提言

09年8月3日

教室という土壌に必須なもの

1999年にオランダでおこなわれたハーグ平和市民会議で採択された「二十一世紀への平和と正義のための課題」(ハーグ・アジェンダ)の五十項目のうち、冒頭に平和教育がおかれている。討議のなかで項目の順番が変更になり、平和教育を含む「平和の文化」が項目の最初になったことからも、教育の重要性は国際的な共通事項になっていることがわかる。

言い尽くされていることだが、改めて、その平和を学ぶ場が「平和」でなければならないのは必須の前提だ。『これが平和学習だ!』のなかで「土壌づくりがなされていない限り、どんなに立派な種を蒔いたところで植物が育たないのと同じように、教育の場においてもベースになる土壌づくりが大切なのは言うまでもありません」とあるように、平和を学ぶ場である学校こそが、民主的で「平和」でなければならないからだ。

ユニセフによる平和教育の具体例では、まず始めに「学校環境の改善」が出てきている。また、「参加、協力、問題解決、相違の尊重を促進する学習法」「参加型授業」「子どもの権利」が必要だとしている。

同じくユニセフによる平和教育のアプローチでは、「学校などのあらゆる学習環境において、コミュニティのすべてのメンバー−教職員、行政官や他のスタッフ、保護者、子ども−の間で、お互いに、平和や権利を尊重する姿勢をつくりあげていく」ことが重要視されている。学校のなかに構造的暴力がなく、教職員や子どもたちが自然に呼吸ができ、お互いが尊重される空気があることが大切だ。そしてそれが学校だけではなく、家庭やその他の場でも、そうであることが望まれる。これは即ち「子どもの権利条約」の核心のひとつでもあるだろう。


「発見」から広い地平の実践へ

「平和でない状態」は現在の日本であっても、身近な現実に起こりうる。たとえば、地震などの自然災害だ。直接の被害を受けた場合はもちろんだが、それを受けなかったとしても、社会の機能はある程度停止してしまう。

この春に発生した新型インフルエンザの流行についても、平和でない状態ということができるだろう。つまり、今ある日常生活がそのまま存在しなくなること−学校が休校になったり、サッカーや野球やコンサートなど人の集まる催し物が中止になったり、繁華街の店が営業中止したり−そういう状況も、平和でない状態といえる。

戦争は「平和でない状態」の最たるもので、しかも人災だ。戦争がここで起こっても、地理的に遠くの場所で起こっても、その影響は広範におよぶ。

今、日本の国内に「戦争」はない。しかし、だからといって「平和」であるわけではないのはこれまでみてきたとおりだ。だが、少なくとも私たちはそれぞれに日常生活を営んでおり、明日歩いている途中に道で地雷を踏むかもしれない、という不安を抱えてはいない。明日の予定を考えることが可能な生活のなかにいるのである。

日本が敗戦で得たものは憲法だけだ、といわれる。この日常生活を営めるだけの「平和」を守っているもののひとつに、今の憲法があることは疑いようがない事実だ。その経緯を踏まえていくとともに、同時代の日常に広がる構造的暴力の解消を求め、身近な問題として引き寄せながら平和をつくる教育実践を「発見」していくこと−平和教育には、まだまだ広い地平が待っているのだ。

ここに掲載したものの他にも、様々な開発教育のヒントになる教材や参考図書が多数発行されています。(「ケータイの一生」は、「市民学習実践ハンドブック」のなかに1テーマとして入っている実践を、より詳しくまとめたものです)。

この特集で紹介した教材は、下記で取り扱われています。

特定非営利活動法人開発教育協会

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