ゆみさんのメンタル・スケッチ

第10回 ひそやかな雨には

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2014年07月01日
第10回 ひそやかな雨には

梅雨の生まれの私は、幼いころの誕生日の思い出は、いつだって雨の中です。アジサイ色の長靴で、誕生日にうかれ横断歩道をふざけて渡った時、危ない!と怒鳴られた声さえ、大人になった今も、優しい雨音となって包んでくれているのを感じます。ありがたい雨の季節です。

それだけに、今年のように激しい雨の被害のニュースと共に梅雨入りを知り、雨がつらい記憶になってしまった子どもたちのことを思うと胸が痛みます。早めの大雨対応の大切さをあらためて思います。

さて、早めかどうかというと、見極めが簡単ではないことは、心の雨でも同じです。

私は精神神経科の医師として、医療対応が必要な方に接している臨床場面とは別に、(病理的な症状は明らかで無いとはいえ)悩んでおられることについてのご相談を受ける場面があります。前者については、近年国際的な診断基準もあり、医師はそれを学んできたわけですから、標準化をめざした初診や相談対応の基礎の基礎は確信し頼っています。

それよりも難しいと感じているのは、「早めの相談」に対しての対応です。

クリニックや病院に受診された方は、「少し敷居の高いかもしれない科」を選んで来られた訳ですから、(いわゆる健康保険の対象である)お薬や、精神療法などを前提にします。たとえ、表面的には小さな症状でも、中には早期で見逃してはならないものが隠れていることがあるからです。お話しを伺ったうえで「共感」だけで終結し、一回の面談のみで、次回の何らかのお約束なくお返しすることは少ないと言えます。

一方、「相談」には、職場のこと、家庭のこと、性格の悩みなど様々なことがありますが、特に教職員や我々のような立場であると、やたらに周囲に愚痴るわけにはいかないので、「守秘義務のある第三者」に話して共感してもらうだけで気持ちが軽くなる、というのは至極ありがちなことです。そんな心のひそやかな雨、通り雨には、さらっと本降りへの対応をしないのも、大切な力量です。だからといって、一回お話しを伺っただけで、「あなたの雨は、小降りで雨のち晴れるや」とは神でない身に言えるわけはなく、「人間ですから、心にひそやかな雨が降ることはありますが、それが潤いにつながっているのかもしれませんよね。そんな雨には、大きな立派な傘はなくても…」なんて梅雨の季節には言っていますが、考えると逆に偉そうでいやになります。

先日、どこかの大きな雑誌の人生相談コラムにこんな相談がありました。それは、「自分は若い時に就職で郷里を出た時も、自分の郷里にどうしようもない懐かしさや離れる辛さは感じなかった。けれど、その後十数年住んだ今の街から転勤する、と決まった途端、この街が愛おしくてたまらず、街の景色に切なくなる。不思議なこの感情に戸惑っている」というような内容でした。

回答者は「大人になって一番長い間暮らしていたから、自然と愛着がわいただけ。こんなことで戸惑ってる暇に仕事でもしたら」という返事でした。

社会的に相当の信用のある回答者に、このよう断定され、小気味よく切り捨てられるのを期待してこの人生相談は成り立っているのかもしれません。本人でない読者の反応を意識した相談コラムですから、私の受ける「相談」とは無論違うのですが、しかし、はっと感じるところがありました。このような相談でも、しばしば、「生育背景は? 戸惑っている、とは不安か抑うつはないか、最近急激に悲哀感が生じてきた可能性は?」、などと余計な理屈を持ち出さないことのツボをつかれた感じでした。

今日も外は雨です

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