ゆみさんのメンタル・スケッチ

第12回 夏休み・母の嘘

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2014年09月01日
第12回 夏休み・母の嘘

私が小学校の頃、街にはまだ野良犬がそこかしこに歩いていた。何度か家に連れ帰って、親に飼ってもいい?と随分困らせた。そのうちに「動物を飼うのは先に死んでしまうと悲しいから嫌」と譲らなかった母も、毎日世話をすることと、もう捨て犬を拾ってこないことを約束に、近所に生まれた真っ白な子犬を飼ってくれることになった時は天に登る気持ちだった。

けれど、一年もたたないうちに、私は一匹の愛くるしい野良の子犬と出会ってしまった。家の事情からも二匹は飼えない上に、母との約束もあった。私と一歳年上の兄は、その犬を「近所の空き地で飼い、貰い手を探そう」と密約した。ちょうど夏休みに入る前で、近所の小学生仲間やその兄弟たち数人で、地面に穴を掘り、その上に捨ててあった古タイヤを載せ、段ボールをかけ、周囲からは見えない秘密基地のような家を作り、その柔らかな栗毛色からプディーと名付けた。

しかし仲間たちも夏休みに入り、また新鮮な興味が無くなったのか、食料を運ぶ者が一人減り二人減り、ついに私と兄の二人きりになった。泊りがけでの家族旅行が決まった時、餌を持っていけなくなる、と切羽詰った兄と私は、母にプディーの存在を打ち明けた。毎日少しずつ残したご飯を、母にわからないように運ぶために工夫をしながらだが一瞬私か兄が消える、そんな不自然な行動を、本当に母は何週間も気づかなかったことはなかったと今になると思うが、腰を抜かさんばかりに驚いて見せた。

それでも、貰い手を探すしかない、とあちこちに電話をはじめた。しかし、団地群のような土地柄で、貰い手はついに見つからなかった。数日後母から、「その犬はどこの方から来たの?」と聞かれ「あっち」とこわごわ指をさすと、「じゃあ、元いたところへ責任を持って帰して来なさい。」ときっぱりと言われた。口答えができないことはわかった。

夕暮れがせまるころ、私と兄は、無言で林檎を手に、山の住宅地の方へ、できるだけ帰り道がわからなくなるように、何度も回り道を繰り返し、もう自分たちでもどこにいるかわからなくなるまで歩いた。細かな雨が降りはじめ、裸電球が灯り始めた一本の電柱の下で無心に林檎にかぶりつく姿が、ふわっと浮き上がって見えた。私と兄はその背中に「ごめんね。さよなら。」と一年分の涙で砂利道がアスファルトのように見える夕暮れを、全速力で走って帰った。ところが、戻るとプディーがタイヤの横でしっぽを振って雨に濡れながら待っていた。

しゃくりあげながら一部始終を話した。叱られることはなかったがそれこそ一年分くらいの溜息をつかれ、夕飯をどういう顔で食べたのか思い出せない。次の朝、「正雄、由美子、貰い手がみつかったよ!」と母の弾んだ声で起こされた。あんなに探しても駄目だったのに、どうして手品のようなことが起きるのだろう?という私たちの顔をみて、母はつぶやいた。「血統書付の名犬の子ですって、嘘をついちゃったのだから、、、」と。 母に「嘘をついた」、と告白された夏休みは最初で最後であった。


精神神経科医 労働衛生コンサルタント  牧由美子

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