ゆみさんのメンタル・スケッチ

第17回 先生

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2015年02月01日
第17回 先生

恥ずかしさを忍んで白状いたしますと、私は、漱石の「こころ」の全文をまだ読んだことがありません。一つには冒頭のこの文章でいつもたたずんでしまうからかもしれません。

「私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。これは世間を憚(はば)かる遠慮というよりも、その方が私にとって自然だからである。私はその人の記憶を呼び起すごとに、すぐ『先生』といいたくなる。」

「その人」は私が医学部を卒業しレジデント(研修医)として働きだしたある市民病院で、初めて入院担当させていただいた患者さんでした。柔らかな白髪と、病のためか細面の白いお顔がいっそう白く、きらきらとした黒い瞳だけが治療への、強い意思を感じさせる初老の男性でした。(治療法も進歩し決して不治の病とは限らないのですが、今でもやはり救えない症例も多い)白血病の抗がん剤治療の為入院されました。

初めてその人の病室へ抗がん剤の注射のトレーを持って伺った時、奥様が思わず、「ま、牧先生が、お注射されるの、ですね?」とお聞きになりました。「研修医が抗がん剤の注射するのは遠慮して!」等とおっしゃることは失礼とわきまえられておられたに違いない穏やかな奥様でしたが、言葉の裏の意味は当然なことでした。

血液の血小板の低下などにより出血傾向が強いのと、抗がん剤の注射では、注射針を刺す際に血管を少しでも外して傷つけることは大変危ないことで許されません。

幸い、アメリカの病院での研修で肌の色の濃いしかも肥満の患者さんの注射で一年近く鍛えられていましたので、傲慢ですが、自信はかなりありました。『私、失敗しませんから!』とはさすがに言えませんでしたが、それに近い言葉で安心していただこうとしたように覚えています。そして実際に始めは注射も「痛くないよ。お上手だ。」と言っていただくくらいうまくいき、その人の検査結果もそれと同じように良くなっていきました。

けれど、青葉がいつか色づく頃、徐々に白血球の上昇が止められなくなってきました。血管は日に日に細くなってきました。針刺しの失敗のますますの深刻な許されなさを感じると指は震えることが増え、病室の前でたたずむことさえ増えました。「もう次は指導医に注射を変わってもらおう」と心に決めたその時です。その人は、(合併症からくる体の痛みで、体位を変えるのはさぞ辛かったと今にして思うのですが)そんな私を見て、「ちょっと待って。体を少しこちらに動かしてみますから。ほら、支点、力点、作用点と小学校で役に立つことを習ったものですよね。私はこう見えて職人だったので、“特に支点が大事だ”と思い知る目にいくらもあっているのですよ。その注射器を持っていない指と、手のひらの右端のこの辺ををしっかり、私の腕のこのあたりに固定して支点を作るのを意識すれば上手くいきますよ。」と、おっしゃいました。その言葉はわかりやすく、具体的で、私に指導医へのSOSを出させることを(抗がん剤の投与を中止する最後まで)させずに、今から思うと「先生!今日もよろしくご指導をお願いします。」等と、冷や汗ものの図々しさで甘え続けたものだと思います。その人は、「たたずむことはあってもいい。けれどたじろぐことをしない。」と教え続けてくださったのだと思います。

病室の窓に落ち葉の舞うころ、その人は静かに逝かれました。

病理解剖は必ずしも承諾する必要は無かったのですが、その方は、「自分の体が医学の勉強の一助になるのなら」と指導医と私に解剖を希望されていたと知りました。解剖室で私は先生に最後のお別れをしました。


精神神経科医 労働衛生コンサルタント  牧由美子

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