ゆみさんのメンタル・スケッチ

第23回 長い手紙

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2015年08月01日
第23回 長い手紙

大切な人を亡くした後に、その生前を知る方から手紙が届き、「そんな一面があったのか」と再び涙することは、きっと世の中に沢山あると思います。けれど、父が亡くなって一年が過ぎようとしていた梅雨の頃、受け取った一通の手紙は、私には特別な意味を持っていました。

母は、若くして突然もぎ取られるように失った息子(私の兄)のことを、その後恨みがましく語ることも、この私の様にうつ状態を数年引きずるような姿も、一切見せずにきました。そんな母が、父の亡きあとは毎日ボーっとして、いらいらするかと思うとちょっとしたことで涙するという日々でした。「喪失感からくる一時的なうつ状態」と、たかをくくってもいられないと考え始めていましたが、私は「お母さん、おセンチになっちゃったね」と、努めて何気なく口に出すようにして様子を見守っていました。そんな時に、母の「おセンチ」を大いに加速させるかと思わせる手紙が届いたのです。

それは、脳梗塞で発声が不自由な父君の発声されたとおりに、息子さんがワープロを打った手紙でした。ところどころ「……」と詰まった言葉がそのままにあり、こちらの胸もその都度詰まり、読んでいくうちに私の気持ちは “時の地下鉄” で一気に1940年頃へ連れ去られました。

手紙は「自分は最近脳梗塞を患い、言葉も無くし語れなくなる前に、人生に大きな力を与えてくれた○○兄(父)に、感謝を伝えたい」との内容でした。父の父母が、両親を亡くした小学生のその方を、養子先が見つかるまでの3年ほど、家にあずかり、兄弟同様かわいがられたそうです。

貧しい時代であり、戦争で焼け出され、結局養子先の家と祖父母の家の連絡も取れなくなってしまったが、小さな自分を養子先の家まで、○○兄が一高の制服を着て、古いげたをはいて何キロも歩き、手を引いて連れて行ってくれたのは忘れられない。その時、「本を読みなさいね。きれいなものを勉強しなさいね」と言って、「お古だけど、ごめんね」と絵の具とパレットを手渡したとのこと。長じてその方は新聞社の美術関係を仕事として戦後を生きてこられたのでした。

内容もさることながら、私にとり最もこの手紙が特別だったのは、「母の気持ちの回復」を認めるきっかけになったからです。

実はこの長い手紙をいただく前に、「調べて突き当たったこの住所で間違いないでしょうか?」という連絡を受けていた私は、母がさらに落ち込まないか心配になりました。が、母は「お父さんからそれらしい話は聞いていたけれど、本当に誰かはわからない人だから慎重に答えるわ」「お父さんが昨年亡くなったこともまだ言わないで様子を見るわ」と、ごく簡単な返信をしたのです。その後あの長文の手紙を受け取り、何回か息子さんの代筆で手紙のやり取りをしてやっと、父の亡くなるまでのことを知らせ、「もう、由美子のことを書いてもいいわね」と、こちらの家族の個人情報開示(?)の許可まで私に取ってきたのです。

亡き人の思い出に寄り添いながらも、現実に残された家族を慎重に守り、しっかり生きていくのだ!という強さが、母に戻っていました。電話機の前に貼ってある(渡してなるかオレオレに!)のメモがなくとも「私よりよほどしっかりと生きるパワーが満タンに戻っている」と、感じさせてくれたのでした。


精神神経科医 労働衛生コンサルタント  牧由美子

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