ゆみさんのメンタル・スケッチ

第28回 交差点

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2016年01月01日
第28回 交差点

「この世界には、自分とそっくりな人が3人いるとか、4人いるとか」。

そんな話を時々聞きますが私は今までそういった人に出会ったことはありませんでした。「遺伝子の加減で顔がそっくりな人はいるかもしれないけれどねえ」、とさして気に留めることがなかったのです。それが、先日突然その機会が訪れました。

それは、母と私と娘と女三代で東京からほど近い温泉の、決して豪華ではないけれど、小ざっぱりとした旅館の大浴場。その脱衣所でした。

足の悪い母を手伝って、先にまず母の入浴を済ませ、無事部屋へ帰し、次に私と娘が2人でゆっくりと湯につかりに戻りました。「あーいい湯だったね、いよいよコーヒー牛乳だわ。いい加減にぬるくなってるはず」と話しながら脱衣所へあがりました。大浴場の中には、高齢のお母さんと娘さん、といった方々数人。そして私たちが脱衣所に上がるとき、私と同じ年の頃の女性たちが、楽し気に笑いながら数人、入れ違いに入ってこられました。

竹で編まれた脱衣所の籐のかごには、(心から安心して信頼に満ちて)誰もがそこに下着はもちろん、宿の浴衣やら、小さなポーチやらを置いて、そして、たいていの人は中のものを覆うように、一番上に宿の真っ白なバスタオルをふわっとかけています。私は目印にと、バスタオルの上に、先ほど宿でもらった小さな折り鶴を置いていました。

折り鶴の乗った、その籐かごのバスタオルをめくると、ざくっとたたんだ浴衣。さっき買っておいたコーヒー牛乳。最近評判の暖かい下着A、下着B、下着C。どれも気恥ずかしくない程度にレースがついている。冷え性には欠かせない起毛のソックスの紺色はお気に入り。そして、地味な花柄だけれど娘に誕生日祝いで貰ったお気に入りの化粧ポーチ。私のお気に入りの……、えっ?何か柄が微妙に違う。そんな。

あっと叫ぶと、娘の「お母さんのかごはそちらの列だったよ」と言う声。そう、私のかごではなかったのです。「どうしよう、バスタオルさわっちゃった。それに、ポーチ動かしちゃったから、置き方が違ってると思われるかも。浴室に入って誰だかたずねて謝ろうか」。

すると、娘は、「温泉に入って手はきれいだし、すぐ戻したのだから、むしろ浴室でどなた様でしょうか、と尋ねる方が迷惑かけるよ。あー恥ずかしい」。

確かに娘の言う通りかもしれません。けれど私が、しばしそこでたたずんでしまったのは、不思議な出会いの気持ちでした。

バスタオルの上に折り鶴を置いておいた小さなこだわり、下着の選択、紺色の起毛のソックスにしても、ポーチの柄がなければ気づかないほど見事に私とそっくりだったその人。そしてキンキンに冷えたコーヒー牛乳ではお腹をこわすような人。

きっと、私とはうわべはまったく違う人生を生きてこられたその人。

違う職業、違う顔、違う家族に違う生き方。けれど、いろいろな意味で私とそっくりな何かを持って生きてきた人に違いない、これこそが自分とそっくりな3人のうちの1人と。今日ここでこんな形ですれ違って、声もかけずにこの自分とそっくりな人とすれ違い、二つの人生の交差点を黙って通り過ぎるのがもったいないような気がしたのです。

 「『人生の交差点』とか、脱衣かごを間違えといて、よくそこまでいろんな言葉が宙を舞うよねー。不思議なのはお母さんの方よ。バアバが待ってるから私先に行くね」と、娘は笑いながらさっさと着替えると、ペタペタと草履を鳴らしながら暖簾を出ていきました


精神神経科医 労働衛生コンサルタント  牧由美子

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