ゆみさんのメンタル・スケッチ

第30回 それだけの話

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2016年03月01日
第30回 それだけの話

「あっ」と呟いて、母の手から、塩ゆでした小さなジャガイモが床に転がり落ちました。

ここは、日本海に面した塩田。真冬の日本海。波の花が舞う様が窓から見られる、そんなお土産屋さんの古びた机に、「ここの天然塩でゆでた芋です。どうぞお持ちください」と、小粒のジャガイモが籠にこんもり置かれていました。それを、いつのまにか、(片手に杖を持って静かにしか歩けない母が)、両手に一つずつ持ち、「美味しそうなのがあるのよ、持って行ってあげるから由美子も食べなさい」と先に外へ出ていた私にガラス越しに掲げて見せて笑っていました。そして次の瞬間、かなりがたが来て重い〝引き戸〟のガラス戸を、両手にジャガイモをもったまま、〝ドア〟を押す様にぐいと押しました。

「危ない!バカな事しないで!」と力任せに戸を引いた私は、母の手をはたく形になってしまい、母の片手から塩ゆでジャガイモが湿った床へころころと転がり落ちたのでした。

思えば母が、亡くなった父と、行こうと約束して果たせなかった北陸の旅。新幹線が出来て、バスのステップの高さは無理でも観光タクシーを利用すれば、台座等で工夫してくれるし、と旅行会社の経験のある友人の知恵を借りながら、計画しました。駅で車いすを借りることなく、杖で乗り切るには、最短歩行距離やエレベーターの位置を知りたいと金沢駅へ電話すると、滑りやすいところなど細やかに教えて下さいました。万全の準備と言えば聞こえは良いですが、このところの母の弱りを、まだまだ敢えて見ないふりをしたい気持ちの賜物でした。(人様には「直面」とか「受け入れ」とか言ってるくせにです)。

それが、思いもかけないところで転びそうになるなんて…。いえ、正確には転んではいません。ジャガイモが落ちただけ。

けれど、母の手からジャガイモが転がり落ちたのを見た瞬間、遠い昔のある光景が、波の花の様に目の前に浮かんで消えました。

それは、もう半世紀も前のこと。片手に買い物籠、片手に3歳の兄の手をひき、2歳の私を寝んねこでおぶい、海の見える商店街の坂を毎日登っていたそうです。私はよくぐずる子で、母はその日はあんパンを一つ握らせていました。ところが坂を登りきろうとした辺りで、背中の私がギャーと手足をばたつかせひどくぐずったのです。母は「なんで、泣くの!」と、ばたつく私の手をビン!とはたいた時、私の手からしっかり握っていたあんパンが落ち、ころころと坂を転がり土にまみれたのだそうです。たいした出来事でも何でもない、それだけの話といえば、それだけの話です。

けれどその後、ことあるごとに、「あれは、かわいそうだった。かわいそうだった」と、あんまりその話を繰り返すものですから、自分の記憶のようになっていました。

若くして亡くなった兄の話でさえ、繰り返し語ることはなかったのに、私は長いこと、母がこの話を繰り返す意味がよく分かりませんでした。が、床へ転がったジャガイモを見て、今そこへ何かがつながった気がしました。

ジャガイモですが、安心してください。よく洗って、土産の天然塩をかけ、観光タクシーの運転手さん(彼は落ちたとは知らない。ごめんなさい!)とも分け合って食べました。


精神神経科医 労働衛生コンサルタント  牧由美子

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