ゆみさんのメンタル・スケッチ

第36回 感謝・感激!!

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2016年09月01日
第36回 感謝・感激!!

病院の玄関わきの向日葵さえぐったりとこうべを垂れるような暑い日でした。

急激に落ちた父の腎機能に、近所の医者が大きな病院で調べると紹介状を下さり、予約を取りました。その話をたまたま友人の医者にしたところ、「そこなら、僕の後輩の○先生がいるから、僕の名前を出してくれていいですよ。暑いから検査も大変ですね。」と気遣いの言葉をもらいました。

名前を出すってどういうことなのか、深く考えはしませんでしたが、検査の当日、予約時間を2時間遅れて名前が呼ばれ、診察室に父母と入りました。時間が押していたことで、焦っておられたのかもしれませんが、その女医さんは顔をあげることもなく、データを電子カルテに入力しながら、「じゃあ、この検査とこの検査、混んでるのでこの日しか予約とれないですよ。それから栄養士による指導を受けて帰って。」と言うようなことをぼそぼそと言いました。

私は、友人の言葉を思い出し、「あのお、大学の△△先生から、くれぐれもよろしく、とのことでございました。」と頭を下げました。

そのとたんです。顔をあげた○○先生は「あのね、私は先輩の先生の知り合いだと言われても、順番は順番!特別扱いはできませんよ!」と、今度ははっきりとした口調でおっしゃいました。私は冷房の効いた部屋で手のひらに汗がにじむのを感じました。

その後の栄養士さんの栄養指導も、立て板に水。両親は無力感を沢山もらってうなだれているように見えました。

会計を待つ長椅子で、私は耳の遠い母に「患者の方もろくに見ずに、こちらは挨拶しただけなのに、『特別扱いを願い出た』と決めつけたあの発言は無礼を通り越してドクハラ(ドクターハラスメント)だわ。」とささやいたつもりが、つい声が高くなっていました。

母は「そうね、でも検査だけの病院と割り切って、由美子は嫌な思いしないで。食事も私が何とかするから。」と言うと目頭を押さえました。

「わかった。お母さんは偉いと思う。お父さんの病院のこともお母さんの助けなしにはこんなに上手くいってない。ねえ、お父さん、お母さんに大感謝だよねー。」と横を向くと、それまでひたすら黙って座っていた父が突然立ち上がり大声で叫びました。笑ってはいませんでした。「私は、感謝・感激ですよ!!」

その、感謝感激のあとに、雨あられと言いたいような、怒りを含んだ叫びに、周りの人達が振り返りました。その頃確かに物忘れはひどくなっていましたが、穏やかで、誰に対しても紳士的で、大声をあげたことは、かつて一度としてなかった父が失われていくようでした。父が言葉を抑えたに違いない『雨あられ』が頭の中に刺さるようでした。「ごめん。先に帰る!」私は病院を飛び出ると、汗か涙かわからないものでぐちゃぐちゃになりながら、2時間かけて家まで歩いて戻りました。

父が何に対して気持ちが抑えられずに怒鳴ったのかは今となっては分かりません。

父が亡くなったのは、結果その腎不全ではなく、別の癌でした。

認知症の初期に人格が変わったような、感情の高ぶりがあること、そのことに気づかず家族が怒ってしまうこともある、と知ったのはまことに恥ずかしながらそのことがきっかけでした。

精神神経科医 労働衛生コンサルタント  牧由美子

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