ゆみさんのメンタル・スケッチ

第9回 五月の柳

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2014年06月01日
第9回 五月の柳

真夜中に次の朝の日当たりを求めて、球根の鉢を動かした冬も行ってしまいました。それぞれ鉢からあふれるように咲いてくれて、あっという間に散りました。気づけば、子どもの日や母の日やにぎやかな五月が目の前でした。

すでに家庭を持ち、なかなか実家ヘは来られない娘家族も誘って、五月の連休に皆で実家の母のところへ帰ることにしました。

父が亡くなるまでは、自分の仕事と介護(のわき役)との両立に、実家にいることが多かったのですが、母は週一でデイケアへ、また、介護ヘルパーさんが週二回来て下さるのを頼みに、私はここのところ実家に帰るペースに悩んでいました。八十をとうに超え、足は悪く、かなり耳は遠くなり、見た感じはすっかりペコロスの母ですので、心配は尽きませんが、出来ることは自分で、という気持ちも大切に、また適度な距離感もまだ大切な時期、と自分に言い聞かせていたところです。そんなこんなの中で、私だけでなく娘夫婦も泊まることにしてしまったのですから、準備の負担をどこまで手伝ったらと考え込んでもいました。嬉しい大歓迎!と言ったかと思うと、やはり泊まってもらうのはきつい、と弱気な声が聞こえたりしましたので、娘夫婦には日帰りで来てもらおうとさえ、私は考え始めていました。ところが、身の回りの物をどこにまとめておいてもらおうか、と言う話になったとき、母は「いいものがあるの」と奥の方から一つの蓋のついた柳行李をどっこいしょと出してきました。それは、半世紀以上前に、私が生後数か月の頃、今でいうベビーベッドにしていたというものでした。もちろん乳児として寝ていた記憶はありませんが、ある風景が、おととい見た夢のようにぼんやりと、けれど一瞬、昨日の夜の出来事のようにはっきりとよみがえりました。私と兄は、寝る前に、セーターの人形やリスの刺繍を表に出すように畳んでぬいぐるみかお人形を寝かしつけるようにしまっていました。三つか四つくらいまでだったと思いますが、兄は少し大きめの蓋の方に、私は下の小さめの方に。昼間着たセーターが夜はぬいぐるみに、行李が箪笥替わりに、そして自分のものは自分で片づける教育、と母はその柳行李一つでやってのけていたのか、と半世紀を経て気づくとは。

今、目の前に母が出してきてくれた行李はほころびもなく、柳は流れた歳月分の褐色を密かに身に着けて輝いていました。母が数日前から押し入れの奥から出して、虫干しし磨いてくれていたのです。こんなしゃれたサプライズを用意できる母はまだ大丈夫だ、と確かな気持ちをもらいました。

実は子どもの日でもあるし、久しぶりに会う娘に、と私は娘が初めて履いた白い小さな靴をとりだし磨いて用意していました。けれど、この柳行李を前に歓喜の声を上げるであろう娘の姿がはっきり浮かんだので、今回は、それはそっとひっこめました。

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