ゆみさんのメンタル・スケッチ

第2回 心の気圧・釜の気圧・父のこと

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2013年11月01日
第2回 心の気圧・釜の気圧・父のこと

いくつかの台風が猛威をふるいました。そして、大地震後、ご自身の心の復興をされつつある方々、多くの方々が、心の台風から立ち上がって行かれる姿にふれるたびに心の晴天を願わずにはいられません。

今回は、医学部入学の頃の話をいたします。兄の死をきっかけとした「心の低気圧」は、小さくはなっていましたが、「どうして兄の体調不良に気づいてあげられなかったのだろう」ということが毎日、心で渦を巻いていました。

けれど、「辛かった後ろばかり反芻している前向きでない自分もいいのだ」、と受け入れると、これから起きることが、不思議と怖くなくなってきた頃でもあります。

そんな頃だったので、新聞の端の某医学部の学士入学の記事が目に留まった時、はなから無理だとは思わなかったのでしょう。

むしろ、周囲に支えられ、心の気圧が上がってくる経験が、医学部へ行けばもう少し具体的な形で語れる枠組みと出会えるに違いない、と新聞を握りしめました。

競争率はめまいがするほど高く、密かに願書を出し、つけ刃で勉強を始めました。合格通知が届いた時、子どもも小学生とはいえまだ小さいですし、大変なことになったと悟りました。すぐに納める入学金がなかったのです。

合格通知を持って父の職場に押し掛けて直談判しました。お昼を食べながら二人で話したのですが、「生活の為のお金は援助するから他の道を探しなさい。そんな苦労をする道を選ぶことはない。医学部は、入った後の勉強はもちろん、卒業した後も大変なのだから。」ときっぱり言われました。ぽたぽたとランチのコロッケに涙がこぼれてとまりませんでした。うなだれて、地下鉄の階段を降りていくときに、背中の向こうから「由美子!」と呼ぶ声がしました。穏やかな父の、人生に一度の大きな声でした。

「出さないよ、貸すだけだよ!」。

逆縁で息子を亡くした父の心を思んばからず、さらに心配をかけることをしたわけです。若いうちは皆そんなときがあるかも知れませんが、そんなに若くなかったのにね、と思います。ただ、今にして思うと、娘の医学部の合格通知を目の前にしてここまで言い切る父もすごいな、と思います。

心の気圧は以降意識する時間が無くなり、別の形で「空気の圧力」に助けられました。朝、圧力釜に野菜と肉を入れ、目盛が2つになるまで加熱し、火を消して放って出かけます。夜帰宅すると、柔らかくなったこのベースに今日はカレー、明日はケチャップ、と目先を変えての時短料理が可能になりました。奨学金を得てやっとの暮らしでしたので、肉はもちろん「細切れ」。学業も子どもとの時間も「細切れ」でした。そんな娘も大きくなりました。

昨年、父とホスピスで最後のお別れをする数日前、意識が戻っている時でした。この娘が「ジイジ、マミーはどういう人?」とほとんど口も動かない父に唐突に尋ねました。「素直で“頑張り屋”さん」と聞こえました。お父さんこそ、とつぶやきました。

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