ゆみさんのメンタル・スケッチ

第6回 心を満たすベランダ

精神神経科医 労働衛生コンサルタント 牧由美子
2014年03月03日
第6回 心を満たすベランダ

仕事で遅くなっても、疲れていても、私が必ず家に帰ると向かう場所がある。それはベランダである。マフラーを二重に三重にも巻き付け、ベランダの籐椅子にひっそりと座っている私は、特に真冬の今は誰かが見たら変に思われるかもしれない。いや、すでにお隣さんは不審に思っているに違いない。しかし、これが私の極上の癒しの時間である以上、気温が氷点下になったとしても私は暖かいのであるから不思議である。

この庭は、隣家の隙間から遠慮がちに、もれる様に日の当たってくれる時間が限られている。しかも、朝と午後とでは、日の当たる場所が微妙にずれる狭い庭である。休日には、この日当たりを逃がすまいと、すべての鉢物をずりずりっと移動させ、夜には翌朝に備え、また戻している。

こんな庭というか、ベランダであるが、土がいじれるのが良くて今の住まいを選んだ。

難しい言葉で置き換えるほどのことでもないが、「生き方・生き甲斐が一つでないように、心地良くないストレスがあったとき、うまく心を満たす方法も一つではない」。その意味で、私の場合はであるが、「土いじりは大きなストレス・コントロールの手段」であった。

医学部に通いながら子育てをしていた時や、研修医をしていた頃は、周りの方から「そんなに忙しい、時間のない人なのに、どうして花作りまでやるの?咲いた鉢を買ってきたらいいじゃあないの、種からや球根からでは大変でしょう?」とよく言われた。

しかし、「草花の手入れに気を使い時間を使う分、子どもに過剰に手出しをしたい性分の私を抑える結果になってくれてるの」、という種明かし的なことは、今になって人に言っている。

夜中のベランダで、球根の芽を数え、柔らかくなった置き肥を一つ一つ離乳食のようにつぶし、今日は何ミリ頭が出てきた、とみている時には幸せなのだが、たくさん植えればどうしても何か所か出てこないところがある。毎日、籐椅子に座りながら、どうしたの?がんばれ! このドキドキは何なのか、無駄なことをしているのか? いや、人生無駄なことは一つもない、必ず何かの役に立っているというではないか、などと取り留めのないことを考えるのがどうも私にはストレス解消になっているらしい。

ただ、私は「育てるプロセスを大事にしている」という立派なことは言えない。最近、花屋さんで芽だし球根という、すでに芽の出してある球根が売られ園芸講座でも「春を先取り、簡単・確実に花が咲く。」と取り上げられていた。芽だしどころか、すでに立派に咲いたチューリップを花屋さんで見たときの焦り。その夜、私は自分で育てている球根たちをかばうべく凛々しくベランダに立ったのではない。私の手には二鉢の芽だし球根の鉢植えが抱えられていた。そう、どうしても気になったので、「私は私!」と無理することなく、ちゃっかりと買ってきたのである。「時には、うらやましいと思ったら素直に取り入れ、少しなら近道しても、これもまた良いよね?」とベランダでつぶやいている。

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