点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

幻の明治画家―渡辺省亭

伊藤宏一(千葉商科大学)
2017年05月01日

江戸時代の若冲など、最近は日本画の世界で注目すべき動向が出ているが、その中で最も注目したいのが、今年四月に百回忌を迎えた明治の画家である渡辺省亭(せいてい)。

明治期、福沢諭吉の『文明論之概略』が描くように、日本は旧弊から脱し、文明の梯子を登り続けた。西洋文明を取り入れ、殖産興業政策をとる日本で、江戸時代までの文芸は古いものとして否定され、浮世絵なども二束三文で海外に売り払われていった。西欧の美術を「技術」として取り入れるために工部美術学校ができ、遠近法などは技術として学ばれた。その後絵画の世界は、東洋の中の日本を志向する日本美術院(岡倉天心)と西洋文明崇拝の洋画(黒田清輝)とが二大勢力となった。

そうした中で、江戸神田佐久間町で生まれた省亭(1851-1918)は、16歳で狩野派の菊池容斎に弟子入りした。容斎は手本を与えず、見たものをそのまま描けと「自得」の教育を施し、対象に対するリアルで繊細な筆致を養わせ日本の伝統的な技法を身につけさせた。1878年、28歳で起立工商会社に職を得て、洋画家の山本芳翠らと共に第三回パリ万博に向かった。その水墨水彩画にドガは驚嘆し、万博出品作品はイタリア人の印象派ニッティスが買った。また西欧の写実画も大いに学んだ。

省亭は、水墨画の余白を生かす意匠(デザイン)の中に繊細な写実を重ね、花鳥風月を空間的にだけでなく、その時間的な動きを作り出すことに成功した。「牡丹に蝶の図」の蝶や「月に千鳥」の千鳥は、今にも動き出しそうな動きを感じさせる。

さて音楽の分野で、ドビュッシーが葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」にイマジネーションを受けて交響詩「海」を作曲したように、ドガやマネは省亭から大きな刺激を受けた。

フランスでは、モダンな産業革命とその思潮の反省から印象派が登場したのだが、その時彼らは日本のいわばプレモダンの画家からインスピレーションを受けた。他方日本では、文明の梯子を登るというモダニズムの思潮が支配的で、西欧がモダンの先を行くとみていた日本の伝統的な絵画世界を否定してかかった、という逆説がここにある。鏑木清方が深く信頼を置いた市井の画家省亭の道は、いかに日本人が、国粋主義的でない日本に自信と誇りを持ち、外国のアートを上手に取り入れていくか、という道であり、それは漢字を取り入れてひらがなを創造したことに見られるような、日本文化の方法的伝統にそった道だった。

なお省亭については次のサイトをご覧いただきたい。
http://www.watanabeseitei.org

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