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点鐘 [連載コラム]

求めるべき学び舎とは


1960年代末、「くたばれGNP」と言った。公害とニクソン・ショック、石油ショックで揺さぶられた。80年代、Japan as No.1といわれ調子に乗り、「豊かさゆとりが感じられない」のは、要するに経済至上主義に沈没していたからだと理解しつつも、いつの間にかバブルに踊ってしまった。そして、今度は大不況到来。ニクソン・ショック以来、「双子の赤字」拡大する米国が撒布するドルで世界がバブルになっているのは分かっていた。にもかかわらず、サブプライムが卓抜した金融技術だとする論調がでかい面をしていた。素直に見ればリスクの高い住宅融資を証券化し再証券化するなどの手口はねずみ講と同じであるが、金融技術で世界をリードするエリートには本質が見えない。目下は火消し作業に大わらわで、またぞろ膨大な財政出動期待である。しかし、「売らねばならぬ」の資本主義はどうしても過剰生産、過剰在庫で不況を招く。それを避けるために金融ジャブジャブにしていたのだから、1年、2年で決着できるような筋合いではない。一方で資源は枯渇方向へ一目散だ。エネルギー資源だけではない、2025年には地球人口の3分の2が水不足に放り込まれると試算されている。たとえれば温暖化は、地球が栄養過多になっているようなもの。従来の経済学各派はいずれも資源無尽蔵を前提としていた。大金掴んで泥舟に乗って心地よいものか。
経済は人間生活のためにある。経済至上主義になれば、労働が目的化し、労働を提供する人間が手段になる。昔、「戦争をおっぱじめるのは優等生だ」と言った。優等生は知識豊富で成績がよろしい。しかし知識豊富であっても、人間としての思索力・判断力が卓抜しているとは限らない。目下の世界的混乱は、いわば世界中の優等生が寄ってたかって引き出した事態にあらずや。地球を破壊してきたのは人間だけだ。生きていることを真摯・謙虚に感謝せにゃならぬ。傲慢な優等生を増産するのは止めねばならぬ。学力テストの成績論ではなく、「考える」「まなぶ」「自分と対峙し続ける」人を育てる。それこそ、社会が求めるべき学び舎でなくてはならない。「虚偽を見抜き、真実を指摘できる人、それが悲哀の人だ」と矢内原忠雄先生は語られたなあ。