点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

個性派来たれ

2009年11月02日
個性派来たれ
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2009年11月2日

1960年ごろの話。某氏は入社試験に学生服下駄履きでやってきた。リクルートルックはまだなかったが、いわゆる弊衣破帽タッチはいない。面接担当者が「どうしてそんな格好できたのや?」「御社は個性派求むといわれるので普段着の私を見ていただこうと思いまして」。それが当たったのかどうかは知らないが、見事採用された。働き盛り活躍中の本人から聞いた(無論いでたちが採用されたのではない)。

研修活動を生業としているから私はあちらこちらにお邪魔する。しかし、爽快な個性に出会うのは珍しい。採用広告は大概個性人求むなのであるが、それにしては意外な事情である。だいたい人事マンにしてから個性を感ずる人が少なく、終日コンピューターと睨めっこしているのが主流派らしい。少なくとも1980年代初めまでは有能人事マンは席を暖めず。現場へうろちょろ出没しては、「よほど暇やなあ」と冷やかされるほどであった。それだけに現場事情をよく知っていた。

私を採用した人事マンは、数年後「採用というのは労働力を採用するのではなく、その人の人生を預かるつもりです」といわれた。学校だけで教育は完成しない。人生は彼方へ行くまで勉強だ。まして、いい仕事をしてもらうためには、まず人が成長しなければならない。実際、学校での試験成績がよいからとて仕事ができるとは限らない。

人は自我を育てる。自我なく協調ばかりしている人は無難であっても力がない。悪くいえば官僚機構における機械みたいなものだ。その結果事業は発展しにくい。伸びようとしないから組織は常に過剰雇用を抱え込む。その結果、トカゲの尻尾切り症状を起こす。いかに一騎当千がおられても、一騎当一がぐらぐらしているから危なくて仕方がない。あえて言えば、多くの企業は人事の悪しき循環に嵌っている。

大事なことは自我を社会的自我にしようとする態度である。社会的自我とは個性である。個性的に生きようとする人は社会的有益な人たろうと努力する。「放っといてんか、私の勝手や」などという根性ではいけません。人は社会において生き、社会において有益だから個性的だとされる。個性人は組織の輝き、粋、華である。後から来る方々への期待は大きい。「個性派来たれ」。

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