点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

文化としての旧暦

2009年12月01日
文化としての旧暦
 伊藤宏一(千葉商科大学大学院教授)  2009年12月1日

来年GDPで日本を抜く中国では日本の旧暦のことを農歴と言い、新暦と併せて現在でも日常的に使われている。また春節(正月)や端午の節句などは旧暦で祝っている。

旧暦とは太陽太陰暦であり月の満ち欠けによって日にちを数え、太陽の運行によって季節を決める。その季節区分は二十四節気と呼ばれる。これは、まず昼夜の時間による季節の中間点である二至二分(春分・夏至・秋分・冬至)が考えられ、これに昼夜の時間による季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬を加えて八節の区分とする。更に、気温について小暑・大暑・処暑(暑さが止む)・小寒・大寒を、気象について雨水(雪から雨に)・白露(秋の冷風)・寒露(冷たい露の降りる秋本番)・霜降(霜が降りて紅葉)・小雪(初雪)・大雪を加える。更に物候として啓蟄(春に虫が動き出す)・清明(花咲く春)・小満(5月草木が茂る)を、農事として穀雨(春の天気も安定し柔らかな雨が降る)・芒種(稲などのぎのある穀物の種まき)を併せて、24に区分される。四季の変化の鮮やかなわが国では、この二十四節気は、季節の移り行きをみごとに表現しており、俳句の季語の土台となり、また農業では仕事の指標ともなっていた。また月の満ち欠けによる日にちの区分は、漁業には欠かせない指標であった。総じて旧暦は日本文化そのものだった。

この旧暦は明治5年12月に廃止された。それに先立つ5月、品川・横浜間で鉄道が仮開業し10月14日には新橋・横浜間に明治天皇を乗せたお召列車が走り、翌日から正式営業が始まった。イギリスで蒸気機関車が動き出した時、時刻の統一が必要になってその後、グリニッジ標準時が定められた。イギリスと異なって国有鉄道政策であった日本では、鉄道事業のためにイギリス以上に全国統一の時間管理を必要とした。恐らくそのために、文化としての旧暦は同年に廃止され、文明の技術の一環として新暦が導入されたのだろう。事実、開業から30年余りで全国の鉄道網は7000㎞を突破し文明開化の推進力となった。

技術は文化を駆逐する。明治9年にできた工部美術学校は、近代最初の美術学校であったが、それまでの日本の絵画を否定し、西洋美術を遠近法などの「文明の技術」として導入しようとした。後にこの路線の対抗軸を立てたのは、「アジアの中の日本美術」を構想した岡倉天心だった。

さて私たちは、四季折々の美しさに満ちた日本で21世紀に心豊かに暮らすために、旧暦のような日本文化を生活の中に再興することが必要なのではないだろうか。

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