点鐘 [連載コラム]

写真
点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

自分自身のフィロソフィー

2010年02月01日
自分自身のフィロソフィー
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2010年2月1日

読書が好きでない人は少なくないが、思えば当たり前で、趣味なら他に面白いことがたくさんある。偶然、自分は本が好きで、読書抜きの人生は考えられないのだが、それにしても実に下手な読み方をしてきた。濫読・乱読、手当たり次第、なんとなく手にした本の多かったこと。友人から「子どもが本を読むようにしたいのだけれど」と相談されても、好きは好き、嫌いは嫌いだから、ろくに応援できない。

読書、未知のことを知る喜びというが、人間は習慣の動物であるから、未知のことを素直に受容するのはちょっとした苦痛でもある。苦痛が喜びに転換するのは、発見それ自体が愉快な場合であって、つまりは前提として何か探していなければならない。自分のテーマが必要なのだ。膨大な書物が存在するから、そのなかから発見するのは、なかなかたいした仕事ではあるが、発見といっても所詮「他人の古着」である。他人がお書きになったことをいくら知識として得たとしても、それだけのことである。かくて読書から何か発明せにゃならぬ。発明するためには思索しなければならぬ。

最近の若いものは本を読まないと嘆く声をよく聞く。しかし、見たところ先輩世代にあっても、読書している人がさほど多いようには見えない。何でも、ただ読めばよろしいというわけではないし。「昔はものを思わざりけり」という。はっとする。然り、ともすれば思考活動休眠状態ではないか。私は勤め人諸君の人生設計セミナー(マネーにあらず)を主催している。「いかに生きるべきか」「幸福とは何か」というテーマに直面すると大方は戸惑い、茫々たる表情になられる。

「学問は無意味な存在だ。なぜなら、それはもっとも大切な問題、すなわちわれわれは何をなすべきか、いかに生きるべきか、に対して何事も答えないからである」トルストイはつれないことを言った。とすれば読書もまた、自分自身のphilosophy(哲学・人生観)を発明するためにこそ意義があるのだろう。

読書を好きになる子どもが増えたら素晴らしい。「敢えて賢かれ!」(カント)というのは人間としての無限の挑戦を意味している。先生の仕事は大変奥が深い。雑音に負けず活躍していただきたい。

pagetop