点鐘 [連載コラム]

写真
点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

幸福論

2010年05月01日
幸福論
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2010年5月1日

欧州では昨今哲学が見直され、大学では盛んに取り組まれているらしい。哲学と大上段に構えるとかび臭く感ずるのかもしれないが、要するに「いかに生きるべきか」の思いを大切に、自分を磨き、たった一度の人生を充実させる思索を深めるのであって、幸福論を自分なりに展開するのだと思う。

明治時代、渡仏した中江兆民は「フランス・ドイツに、デカルト・カントあり。哲学は床の間の掛け軸なり。わが国に床の間の掛け軸なし」(『一年有半』)と嘆息した。敗戦の年、罪なき罪で獄死した哲学者三木清は、欧州に先駆けて実存主義的思索を深めていたが、「幸福について考えないことは今日の人間の特徴である。幸福論を抹殺した倫理は虚無主義である」、「幸福を武器として闘う者のみが斃れてもなお幸福である」(『人生論ノート』)と、哲学の本質を書き残した。高度経済成長末期、寺山修司はトーマス・マンの「政治を軽蔑するものは、軽蔑に価する政治しか持つことができない」というアフォリズムに倣えば、「幸福の価値を下落させているのは、幸福という言葉を軽蔑している私たち自身にほかならない」と警鐘を鳴らした。

幸福論なき人は畢竟自分を持たず、当然ながら自分を育てようという意欲の薄い人生を歩んでいるのではなかろうか。昨今世間で展開される人生設計セミナーといえば、マネーの損得論に止めを刺す事情にもある。経済は大事だが、経済という手段を目的化してしまうと、人生自体が道具に堕する。

多くの職場でコミュニケーションがよろしくない。コミュニケーション思想もまた輸入品だ。たかだか人間関係円滑論程度でしかコミュニケーションを考えないから、円滑な人間関係を維持するにはできるだけ他者と接点を持たぬことだ!というけったいな処世術がはびこる。自他と状況の産物であるコミュニケーションを発達させる原点は、まず自分磨き、自分に対する深い関心だという本質が注視されていないみたいで心配になる。

世の中は矛盾だらけで、なんともしんどい話が多いけれど、「自分を大事にする」というごく単純な真理を子ども時代からおおいに育てていただきたい。なるほど学園は温室かもしれないけれど、否、温室だからこそ伸びやかな精神が育つのではなかろうか。先生方に大きな期待をする所以である。

pagetop