- ホーム
- HALF TIME
- 点鐘 [連載コラム]
- 飢饉と投機
点鐘 [連載コラム]

飢饉と投機


西鶴にこういう話がある。遊郭の客に「関東に台風がきて相場があがる」という情報が入り、それを盗み聞きした隣客が、米や油の買い占めに大坂に走り、しこたま儲けた。(『西鶴織留』巻一ノ二)
元禄時代には貨幣経済の著しい発達があり、堂島の米会所ができる前に、大坂の淀屋は帳合米取引つまり先物取引をしており、これにより大儲けした商人がいた。
江戸時代には、台風だけでなく飢饉も先物取引や買い占め・売り惜しみの大きな対象だった。しかし天災・人災に対して人々を救済する立場から思慮し実践した人々がいた。例えば二宮金次郎。天保四年初夏、茄子を食べた時、秋茄子の味がしたため、金次郎は冷害を予測した。この冷害によりその年天保の大飢饉が起こった。悪徳米商人なら不作により米が高騰するため、米を買い占めるだろう。しかし金次郎は住民にヒエを育てさせる。ヒエの備蓄により、食糧不足を補い飢饉を乗り越えようとした。彼は、天明の大飢饉から約五十年たち、自分の調査で五十年目ごとに大飢饉がやってくると分析し、それも一年で終わらず長期化すると予測した。
また渡辺崋山は三河国田原藩(愛知県田原市)の家老に就任した天保三年に食糧備蓄庫である『報民倉』を築き、『凶荒心得帳』という対応手引書を用意し、倹約を徹底させた。このため同じ天保の大飢饉の際、藩内から一人も餓死者を出さなかった。
商人の中にも投機を批判する人々もいた。近江商人の二代目中井源左衛門光昌は「中氏制要」の中でこう言う。買置(買占め)、相場、やし(的屋・虚偽・詐欺)の事は、子孫に至るまで堅く禁止する。相場を張ったり買い置きしたりする商いはいわゆる貧賈(貧しい商い)である。人の不自由を強いて他人の難儀を喜び、そのことを気にかけないで得た利益は真の利益ではないので、家業が永く栄えることはない。
金次郎や崋山そして中井光昌の行動の倫理的動機には、儒教や仏教の教えがあった。「義を先にして利を後にする者には栄あり。利を先にして義を後にする者には辱あり。」(荀子)「徳は本なり、財は末なり」(大学)「まず往生を願い、念仏にはげむこと、倹約して家業に勤め、禁欲に生活し、貧窮の災難にあった者には施与をすること。」(浄土宗 念海)
他人への思いやりや慈しみの心は日本人の根にある文化で、大乗仏教や儒教はそうした「良知」を育んだ。リーマン・ショック以降の現在、謙虚に評価し学ぶべきはこうした先人の智慧ではないかと思う。