点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

社会を動かす「共感」

2010年07月01日
社会を動かす「共感」
 本田由紀(東京大学大学院教授)  2010年7月1日

以前に、ある国際シンポジウムの場で、かつてよりもいっそう熾烈な資本主義がグローバルな支配を広げており、その中で世界のいたるところに「遺棄」される人々が生み出されているということについて議論していた。登壇者のひとりであった私は、分断された状況にある人々の間に、いかにして異なる立場の他者への共感と連帯を広げていくかが重要な課題だ、と発言した。それに対して、別の登壇者は、他者への共感の獲得などは無理だ、共感がなくても連帯が可能な社会設計を考えるべきだ、と発言した。会場では、「共感なき連帯」という彼の発言に対する支持を基調として以後の議論が進んだ。

私も、ふむ、なるほどとその時は思った。そのほうが洗練されてかつ安定した社会設計になりうるかもしれない。しかし、そのシンポジウムが終わってからもずっと、心の中にわだかまりのようなものが残っていた。そして、日を経て新たな出来事や経験を重ねる中で、「共感なき連帯」という考え方への疑問が徐々に膨らんできた。そのような、感情を伴わないクールな社会設計というものが、ほんとうに可能で有効なのだろうかと。

疑問の契機のひとつは、社会の中で、主に困窮している人々―たとえば仕事に就けない若者たち―を支援するために新しく導入された制度やプログラムを、実効あるものとして広げてゆく努力をしている方々に接する機会があったことだ。新しい制度は、人々の認知度も低く、それを管掌することになった公的機関などにとって、やっかいなことをまたひとつ押し付けられてしまったというように受け止められることもしばしばある。縦割り行政や中央政府と末端組織との間のギャップがその背景となっている。しかし、そうした障害を越えて、制度がかなりの広がりや根付きを見せている地域や自治体の例もある。それを可能にしているのは、制度の趣旨や対象者の現状を理解し、時には独自の工夫まで付け加えて、熱心に関係諸機関や主体に説明して回り、制度やプログラムへの参加を呼びかけているアクター(行為主体)の存在だ。彼らの熱意が感染したかのように、当初無関心であった関係諸機関が、やがて動き始めてゆく。

このような実例をいくつも知るにつけ、人間とは(良い意味で)情で動く、言わば「暑苦しい」生き物だと実感する。そしてある種、ほっとする。「共感なき連帯」を追求したい方は、そうしてくれてかまわない。しかし私は、人々の感情や共感への期待をぬぐえない。いずれかに手段を限定する必要はない。とにかく社会を動かすことが重要なのだ。

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