点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

思考の喚起

2010年10月01日
思考の喚起
 本田由紀(東京大学大学院准教授)  2010年10月1日

今年度前半のNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』は、近年のこの番組枠には稀なほどの人気を得て、高い視聴率を獲得してきたという。実は私も、子どもたちと一緒に『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメを楽しんできたこと、向井理さんという若い俳優が水木しげるという難しい役をどのように演じるかに関心があったこと、そして放映時間が15分早くなったことから出勤前に見ることができるようになったことなど、複数の理由により、番組開始以来、一度も欠かさずチャンネルを合わせてきた者のひとりである。出張の際には録画までしていた。

この番組を見ることを通じて、私の中に様々な思考が喚起された。ひとつは、この番組は『三丁目の夕日』等と同様に、「昔は良かった」という日本の人々のノスタルジーを刺激したことが、人気の理由だったのかもしれないということである。高視聴率の背景を分析したいくつかの記事では、極度の貧乏生活の中でも努力を貫いて夢を実現させたというストーリーや、主人公が専業主婦であることが人々を「ほっとさせた」ということが、高い支持をもたらしたという解釈も見られた。もしそうだとすれば、人気の高さは手放しで喜べる話ではない。このようなストーリーやそれを支える家族像が成立していたのは、社会全体が豊かになっている時期に漫画・アニメ産業の成長の余地が十分にあったことなど、固有の要因があってこそであり、それらを欠いた現代の社会においてこの話を過度に美化するようなことがあっては、現実の直視と新しい方向への前進をむしろ阻害する。

他方で、私自身がとても興味深く感じたのは、水木しげるという稀有な才能を生み出すことになった諸要因についてである。水木氏の父君は当時の境港地域で最初に東京の大学に進学した方であり、経済的には成功されなかったが、映画や小説など様々な都市的な文化や表現方法を郷里に持ち帰る役割を果たした。そうした言わば近代的な要因とともに、水木氏は前近代的な日本固有の伝説や昔話にふんだんに接しつつ幼少年期を送っていた。さらに、戦争中に水木氏が遭遇した過酷な体験の強烈な記憶と、南方の島の人々の暮らし方へのシンパシーが、経済発展を遂げる戦後日本を常に相対化するまなざしをもたらしていた。このような、時代背景が幾重にも刻印された人生経験が、水木氏の漫画には凝縮されているのである。

こういったことを人に話すと、ある人が、「でもね、妖怪は誰もが好きなように想像していいはずなのに、水木さんはそれに定番を作っちゃったのは問題よ」と言った。なるほど、物事にはことほどさように様々な見方があるものだ。

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