点鐘 [連載コラム]

写真
点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

孤独を知ること

2010年11月01日
孤独を知ること
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2010年11月1日

わが国の子どもは対人関係における主観的幸福感が弱い、つまり孤独を強く感じているという。自分を顧みて孤独なんて言葉を身近に感ずるようになったのは学窓を巣立つころではなかったか。これは晩生かもしれないが、孤独を知るのは成長の証である。はたまた、いかに暖かい家庭にいるとしても、生きている限り人間そのものの孤独性から抜け出すことはできない。だから、群れで暮らす人間は、本来他者を求め、連帯し、社会を作ると考えるべきではないだろうか。

オレオレ詐欺がなくならない。ネット時代の若い申し子たちが、面白半分、お小遣い稼ぎでやっているという分析もある。いわばネットオタクともみられる。その特徴はネットを使えばおったまげるような表現能力だが、いざ生身の人間同士の直接対話となるとまるで苦手で、閉じこもってしまいやすい。自分中心主義、自分が肥大する一方で社会的能力が決定的に弱い。個人主義とは似て非なるジコチュウが蠢いている。孤独との付き合い方を考えねばならない。

大人社会において、孤独を痛切に意識する人と意識しない人のいずれが多いであろうか?間違いなく意識しない人が多数派であろう。孤独を意識しない人のほうが社会に溶け込みやすい。多数派はいわゆる大人である。なぜなら、「まあ、世の中なんてそんなもんや」「しゃあないものはしゃあないのや」から孤独なんてことを深刻に考えない。だから多数派と異なる敏感な感性の持ち主で要領のよろしくない某くんは、多数派からKYとみなされ、シカトされたりもする。

人間は自意識が発生して孤独を意識するようになったのだから、孤独を意識する人のほうが、意識しない人よりも人間的である。孤独を意識しない、いわゆる大人たちよりも上等ではなかろうか。自信をもとうじゃないか!もちろん他者との違いを感じつつ、自分を正当化、つまり妙な劣等感や優越感をもたずに平常心を維持するのは、なかなか厄介である。たぶん、人間の徳だとか品格というものは、ここら辺にその核心が潜んでいるのであろう。「ボクは孤独だ」という気づきはおおいに上等だ。声を大にして言いたい。

諸君、悠々として孤独たろうではないか!

pagetop