点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

自分を見つめる「内向き」

2011年02月01日
自分を見つめる「内向き」
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2011年2月1日

日本人の「内向き」論が幅をきかせている。

諸事万端関心が内側に向かうという意味で使われる。海外留学が少ないとか、海外勤務を嫌うとか…内弁慶なる言葉もある。海外留学は、少し前までは優秀な頭脳が流出するという主張が多かったから正反対になった。海外勤務は最近だけではなく昔から嫌われた。むしろいまのほうが遥かに海外勤務者は多く、質も向上している。

まして「平成の開国」などと主張するに至っては歴史観がどうなっているのか心配になる。会議は踊る、コピーは踊る。そして人は踊らない。あたかも国際的劣等感の表明ならんや。

夏目漱石さんの講演「現代日本の開化」(明治四四)を想起する。

漱石さんがもっとも主張したかったのは、明治日本の開化が、外発的であって、内発的でない。西洋は宗教改革・ルネサンスの葛藤を経て近代の開化を果たした。内発的である。わが国はいわば先進国を追従模倣して開化をなしたのだから外発的である。

にもかかわらず、一等国になったとうぬぼれて頓珍漢に喜んでいる連中が増大し、他方、激しい変化で天狗にさらわれたみたいにおろおろしているわけなので、それではいけない。現状に不満と不安の念を抱かねばならない。外発的な開化の影響をうける国民は「どこか空虚でなければならぬ」と結ばれた。

空虚というのは、虚無的であれ、というのではない。現状と未来を沈思黙考せよ、慌てず騒がずよくよくものを考えましょうというわけである。その後のわが国の辿った足跡を回顧すれば、漱石さんの射るが如き炯眼といわねばならない。

そもそも自分の考え方をしっかり磨いていこうとする人が多くはない。内向き論の諸君は、本質的にいささかも内向き(自分を見つめる)でなく、ただ外の動きをみて、相対的(とくに経済活動面)に嫉妬したり、不安になったりする。もっともつまらない「外発的」気風に足をとられて、おろおろわいわい騒いでいるようにしかみえない。

海外雄飛、世界を舞台に活躍するためには、「諸君、もっと内向きたれ、自分を磨こう」というべきではあるまいか。

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