点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

生きる力を支援する

2011年11月01日
生きる力を支援する
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2011年11月1日

「生きる力」という言葉がある。自分の問題として考えてみると意外にも(!)わかったようでよくわからない。

世の中何が起こるかわからない。確かに生きるのは容易ではない。かの古代ギリシャには「できることなら生まれない方がよい。生まれたらできるだけ早く生まれる前へ戻ることだ」という詩人・哲学者の言葉がたくさん残っている。にもかかわらず彼らは巨大な見えぬ力に押し潰されず、精一杯自分の力で周辺を照らそうとした。それが中世欧州の人生に倦んでいた人々の灯台とされ、ルネサンス、産業革命、啓蒙主義、教養主義の時代を導く原動力になった。

生きる力とは精神の健康を維持する力ではないか。有為転変、森羅万象悉く無常の世界にあって、苦痛や恐怖の重圧にめげず、非安全な事々に耐えられる生き方であろう。煎じ詰めれば自我の確立である。人生は自由だ。どんな生き方も可能である。人生は自分が決定する。まさに自我のなす業である。ならば個人主義がおおいに推奨されねばならない。もちろん前提は社会である。社会にあって通用する自我・社会的自我を自分が意識的に育てられる人になりたい。

エリートとは地位や名誉、富によるのではなく、まともな人間のことである。人は見えぬ鋳型にはめられやすい。社会が本当に素晴らしいのであれば唯々諾々したがえばよい。しかし問題だらけの社会への適応を以て生き方とするのであれば間違いなく非エリートである。

民主主義の憲法が施行された(一九四六年十一月三日)。敗戦までに自由・独立・自治の意識をもつ人は少なかった。だから失っていたもの・渇望していたもの―基本的人権―を獲得したのではなかった。制度は所詮制度である。新しい革袋ができても古い酒が必然的に変わるものではない。大人たちが事大主義・功利主義の生き方を問題視せず、私的領域にのみ関心を注ぐ事情において、生きる力を支援する仕事はまことに困難である。家来や奴隷は強制力によっても造られるが、誇り高き個人主義の生きる力をもつ人間は強制によっては作られない。

生きる力を感じにくい大人社会を見ていると、教師たるプロが孤高の人たるのは当たり前だ。それゆえまことに貴い職業だと思う。

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