点鐘 [連載コラム]

写真
点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

芸術を高める技術

2012年04月10日
芸術を高める技術
 伊藤宏一(千葉商科大学大学院教授)  2012年4月2日

バーツラフ・ターリッヒが指揮するスメタナの『わが祖国』を聞いた。一九三六年六月ナチス占領下のプラハでの、命をかけた迫真の演奏が展開される。当時モノラル録音したものを、二〇一一年チェコ・スプラフォンがデジタル・リマスタリングしたCDで、音が鮮明で、余計な人工的残響もない分、演奏家が音に込めた思いがストレートに伝わり、躍動感に満ちた端正な演奏がよみがえった。高い城、ヴィシェフラド(モルダウ)、シャールカと一曲毎に拍手が巻き起こる。全曲を終えた瞬間に、聴衆の思いを込めたチェコ国家の合唱がどこからともなく始まる。誇り高いチェコの人々の祖国への深い思いとチェコ・フィルの演奏に、感動を禁じ得なかった。

最近は録音・再現技術が進歩し、クラシック分野で過去の名演奏のリマスターが盛んに行われている。いくつか聞いたが、このターリッヒの演奏のように、技術が芸術の真実を高めてくれるものがあるかと思うと、そうでもないものも散見される。そう言えば、カメラの世界でも同じことが言える。デジタル・カメラの新製品が次々に出るが、宣伝文句の中心が「画素」の数になっている。つまり画素数が多ければ優秀という発想だ。しかしそうだろうか。私が気に入って使っているライカのデジカメは、明暗の陰影がなんとも美しく、夕暮れ時の京都錦市場の裸電球や提灯の明かりに照らされた商店の雰囲気がみごとに映る。技術の進歩は、必ずしも芸術の真実と感動に寄与するわけではない。

ここで思い出すのはハイデガーだ。彼は「かつては技術だけがテクネーではなく、真理を光の中にもたらすものも、真実を美の中にもたらすものもテクネーと呼ばれていた」(『技術論』)という意味のことを言っている。現代の「テクノロジー」の語源的なルーツに当たるギリシア語の「テクネー」は、職人的な手仕事や高度な芸術・美術に対しても使われていた。手仕事をする職人の勘もバイオリニストの感動的な演奏も、その意味でテクネーのなせる技と言える。人間の真・善・美に奉仕するものとしての技術という思想は、今、蘇なければならないし、現に蘇る動きが様々にある。日本の中小企業の世界に誇るすぐれた技術は、イタリアやドイツのすぐれた職人の技術と同様にアート的な面も備えている。技術を「技芸」とすることによって、芸術と連なる道をもっと開くようにすること、これが日本復興の重要な要素の一つではないかと思う。

pagetop