点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

同潤会アパートメント

2012年07月02日
同潤会アパートメント
 伊藤宏一(千葉商科大学大学院教授)  2012年7月1日

地下鉄銀座線稲荷町を降りて数分歩いた所に、同潤会上野下アパートメントがある。一九二九年建設だが、現在でも人が暮らしている。路地の向こう側は「落語長屋」で、かつて「稲荷町の師匠」と言われた林家正藏(彦六)が住んでいた。大正モダンの同潤会は開かれていて江戸文化を排除せず、しっくりと打ち解け合って美しかった。それは江戸のシンボルである日本橋の上に首都高を建設した傍若無人の戦後経済主義とは異なっていた。

同潤会の住宅群は、関東大震災後の震災復興計画の一環として、震災義援金のうち一千万円が拠出され財団法人同潤会が設立され、帝国復興院総裁後藤新平の影響下にある東大教授などが、耐震技術や電気・ガスなど当時最先端の技術とアール・デコという意匠を駆使して作り上げた。後藤の震災復興計画の重要な柱は地域コミュニティの再生だった。彼は、東京の五二の小学校をその中心とし、水洗トイレを設置し公園を併置した。銀座の泰明小学校はその面影を今に留めている。こうして同潤会アパートメントは、その内外で暮らす人々のコミュニティをめざして設計された。共同浴場、外の人も使える食堂、独身者用・家族用・職業婦人用等の建物、子どもが安心して遊べる中庭、三階から五階の低層で耐震性も考慮した建物、周囲の住環境との調和、美しい植栽、階段の踊り場にはお年寄りが一休みできるスペース、ゴミ処理のダスト、など人々の共同の潤いある生活のために、多様な機能が美しく整えられた。

しかし無謀な戦争がやってきた。太平洋戦争開始の一九四一年、同潤会は解散し住宅営団ができた。「地域コミュニティの再生」は消え去り、兵器生産のための労働力確保の観点から、就寝と食事による労働力回復を目的とする無味乾燥な「国民住宅」が建築されていった。この発想が、戦後の「戦災復興簡易住宅」に引継がれ、それが今日の東日本大震災後の仮設住宅にまで繋がっている。他方、若い人にも潤いを与えていた表参道の同潤会アパートメントは建替えられ、今や閉じられた私的商業施設に変貌してしまった。

東日本大震災から一年有余。東日本大震災復興構想会議の「復興への提言」(昨年六月)本論冒頭で「留意すべきは、様々な施策を講ずるに際して、人と人とを切り離すのではなく、人と人とを結びつける工夫である。」と述べているが、このことは現在の日本人全体の暮らし方の基本課題ではないかと思う。

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