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点鐘 [連載コラム]

超高齢社会の元気


一九四七年、わが国の平均余命が五〇歳を超えた。六五歳以上が高齢者。高齢者人口が全体の七%を超えたのが一九七〇年で高齢化社会に入った。同一四%超が一九九五年で高齢社会、同二一%超が二〇〇七年で超高齢社会。いまは二三・三%、超高齢社会はまだまだ進む。
私が高齢化問題に気づいたのは一九七〇年。先進的な大企業が定年を六〇歳にし始めたばかりだった。高齢化は現在の青年の問題だと訴えて組織内で中高年対策に着手した。組織は五万人、四〇歳以上がざっと一万人。賃金も処遇も大切だが、なにより意識改革をしなくてはならない。まだ二十代半ばの若造が親世代の先輩相手に講演を重ねた。
以来四〇年以上、気づけば自分が古稀目前だ。ううむ。
おこがましいのは承知であるが、高齢者は超高齢社会の主人公だ。どんな境遇にあろうとも、高齢者が善戦敢闘の美学をもたねば社会の活力が減退する。一・二億人分の一の元気を分担せにゃならない。
時代の元気を作るのは誰でもない、自分の人生である。自分の元気を作るのは誰でもない、自分自身である。高齢者は若者の未来の姿である。青年の国には青年の活力が、超高齢社会にはいぶし銀の輝きがあるようにせにゃならない。
第二の人生という言葉がある。しかし人生は一つである。生まれてから人生一直線だ。生活の糧を稼ぐ仕事から引退しようが、しまいが、人生においては誰もが生涯現役である。人生は自由である。ならば人生に正解はない。もし人生に正解があるならばすでに人間は自由ではない。すべての人生が挑戦であり、試行錯誤である。
いまは確かに大変な時代だろう。もっとよい時代があるかもしれないけれど、これはわれわれ一人ひとりの時代である。状況にひたすら対応するだけではなく、状況を変えねばならない。先人たちが状況を開拓し、改革してきたから今日の文化文明が築かれたのだから。
「生きる力」という。それは、「どんな境遇にあっても、簡単に音を上げない。目を逸らさない。真剣・執拗に闘っている限り敗北はしないのだ」という精神だと思う。高齢者が後世代に見せたい背中はこれだと思うのです。