点鐘 [連載コラム]

写真
点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

トラベルヘルパー

2013年05月01日
トラベルヘルパー
 伊藤宏一(千葉商科大学大学院教授)  2013年5月1日

「トラベルヘルパーという言葉が、頭にこびりついて消えなかった。介護が必要な人の旅を助けるのだろうか。要は、誰かの移動を助けるのだ。人を、運ぶ。人を、助けながら、運ぶ。…まるで暗い海のひとすじの明かりのように、そのイメージは消えることがなかった。トラベルヘルパー、おれにできるだろうか、そうつぶやくと、ゲンイチ、と祖母の声が聞こえるような気がした。やりたいことをやらなあかんよ。」(『55歳からのハローライフ』村上龍著・幻冬社・2012)

主人公のトラックドライバー「ゲンイチ」にとっての絶頂期は、70年代終わり頃から80年代、バブル崩壊の前までだったという。CB無線で仲間と語らい、鹿児島から青森まで大型トラックを走らせ、仕事は充実していた。そう言えば70年代後半「男はつらいよ」と共に流行った映画は「トラック野郎」で、「移動の自由」への憧れが「とらトラ」への共感をよんでいた。

しかし1989年の歴史的転換が訪れた。バブルがはじけ昭和が終わり、美空ひばりが亡くなり、ベルリンの壁崩壊と天安門事件が起こった。トラックドライバーの生活も一変した。スーパーやコンビニ、家電量販店などが現れ、物流の量が天文学的に増えた。私の友人が、80年代始めに自転車で日本一周した。夜半になると、近くの家に声をかけてご馳走になったことがよくあったという。しかし5年ぐらい前に再び日本一周をしたら、どこにいってもコンビニがあり、地域の人と接する機会が激減したと言っていた。

さて運送業は何層もの下請けの仕組みが作られ、中小の運送業は、過当競争と過積載と過重労働で最低運賃もなく、孤独で「地獄のよう」な労働環境になり、それが20年続いてゲンイチは初老を迎えた。

彼の希望の燈は、トラベルヘルパーにある。車いすの人々の自由と感動を支えて移動のお手伝いをする人間的な仕事だ。考えてみると、旅行のコンセプトも大きく変わりつつある。エコツーリズム、ルーラルツーリズム、被災地を支える旅、そしてユニバーサルツーリズム。すべての人は老い、何らかのハンディキャップを負うのだから、ユニバーサルツーリズムは大切だ。それを支えるトラベルヘルパーにとっても、それは希望の燈になる。傷つくことがあまりにも多い社会の中で、人は切実に優しさを求めている。5つの短編小説の最後で村上が描いた物語の結末は、この時代に生きる私たちの希望でもあるように思う。

pagetop