点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

先生の慈愛のこもった視線

2013年07月01日
先生の慈愛のこもった視線
 奥井 禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2013年7月1日

小学校時代、仲良しが、野球やバスケット、バレーボールなどで恰好いいところを見せる。羨ましい。運動神経が鈍いとは思わぬがチビで非力。私も是非何かしたい。中学へ入ったとき一念発起して軟式庭球(ソフトテニス)を選んだ。どんなものかというわけで、何もできないのに早々前衛に立たせてもらい、飛球をハッシと叩くつもりが顔で打った。目と頭の中で火花が散った。ここで辞めては男がすたる。コツコツ練習して三年生で市民大会優勝にこぎつけた。

工業高校入学、バンカラ気風の男子校。勢いに乗って軟庭部へ。嫌な先輩だったら即辞めるつもり。ところが県大会団体戦にチーム編成するのがやっとというわけで直ちにレギュラー選手である。二年生になったらなぜか主将にされて、少しずつ増えた後輩と楽しくやる。部長先生が大学ぽっと出の新人教員で、全然庭球の心得がないのに押し付けられた。お兄さんのような先生に私が庭球を指導する。我が校のコートはおんぼろなので隣の大工場のコートを拝借して練習した。

県大会では団体戦も個人戦も三回戦敗退が相場だったが、なぜか私のチームが勝ち残った。生徒は往復の旅費しかもたず、先生が知り合いを当たってくださって、無賃でお寺へ宿泊することに。外泊などしなかった当時、大きな本堂に泊まって盛り上がった。それからというもの、妙に自信がついたのか、私のチームは常にベスト4入りを果たすようになり、三年生では県大会二位になった。卒業式を最優等生で迎える予定だったが、これは外れた。その代りに卒業生ただ一人の運動部功労者として特別表彰されてしまった。半世紀前の思い出だ。

昨今、運動部の体罰云々が報道されるにつけ、わが学校時代の愉快な運動部時代を思い出す。もちろん試合に出場するからには勝利を目指した。競技スポーツだから当然である。自分たちで計画して練習もよくやった。帰宅するとご飯を食べる元気がないこともあった。しかし、母校の名誉がどうだとか、わが部の伝統を汚しちゃならぬなんてことは全然考えたことがない。コートを走り回るのが愉快であり爽快であった。運動の楽しさを心身に刻み込んだ。いまは年初の葉書交換だけであるが、先生の慈愛のこもった視線を忘れない。

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