点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

けやきとシューベルト

2013年08月01日
けやきとシューベルト
 伊藤宏一(千葉商科大学大学院教授)  2013年8月1日

我家の小さい庭のけやきが緑豊かに育った!今年は、冬に強めの剪定して枝もかなり切り、寂しい枯れ木になり寒さも続いたので密かに心配していた。けれど5月の連休になると少し葉がついてほっとし、それがぐんぐん育っていき、6月には豊かで鮮やかな緑の葉が茂り、素敵な姿になった。5月に香しく白い木香薔薇のアーチが出来た時と同じように、菩提樹と野バラではないけれど、歌心溢れる可憐なシューベルトのピアノ・ソナタ第13番をケンプの演奏で聞きながら、我家のおしゃまな猫と一緒に、小さないのちの成長を愛でている。

成長とはこうしたいのちの成長のことで、自然の時の中にゆったりと育まれるものだろう。そして若い木の成長と老いた木の成長とは自ずから異なることも、自明だ。

ところが今年は「成長戦略」という人工的な言葉で社会が騒がしい。東京オリンピックや東京タワー、新幹線、高速道路網、ダム建設そして原発推進といった「かつての成長のシンボルをもう一度」と言いたげだ。「再び東京でオリンピックを」という話の中にも、そんな気持ちが潜んでいるのを感じる。東日本大震災の被災者のことも、地球温暖化のこともすっかり忘れ、そして「持続可能な成長」という大切な言葉も忘れる健忘症に陥って、団塊の世代に対して彼らの若い時代へのなつかしさを掻き立てるかのような夢想を誘っている感じだ。地形の多様な箱庭のような日本の田園には、大規模農業も高速道路も似合わないし、日本橋に高速道路を敷いたのはもってのほかだ。経済拡大の終わった江戸時代後半に詠まれた「よく見ればなずな花咲く垣根かな」(芭蕉)という句のように、小さきものへの澄んだ目線こそが日本人のすぐれた美質だろう。貨幣という人工物を大量に社会に出回らせ、効率的競争を煽るやり方で、日本社会という老いた木に生きる私たちが、本当に成長するわけがない。政治から経済が自立し、経済は金融化して、金融という人工物が人間の経済を暴力的に動かす光景は醜い。それは一本のけやきにも、まして美しいシューベルトの音楽にも、遠く及ばない。

環境技術の発展、再生可能エネルギーの発展、豊かな絆あふれる高齢社会、成熟した精神が求める文化や芸術や新しい観光、多様な価値の共存、傷ついた人々への優しい想いと支援、そして若者がしなやかに本当の成長を育んでいく教育、こうしたことに経済と貨幣が奉仕するような仕組みを創ることが、生活者の切実な願いではないのだろうか。そう思わずにはいられない。

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