点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

職業高校政策の急旋回

2013年09月02日
職業高校政策の急旋回
 
 本田由紀(東京大学大学院教授)   2013年9月2日

今、ある必要から、’60年代から’70年代にかけての職業高校政策について調べている。

周知のように、’60年代においては高校多様化の政策方針が強く打ち出されていた。それは’66年10月の中央教育審議会答申「後期中等教育の拡充整備について」の中で、「普通教育を主とする学科および専門教育を主とする学科を通じ、学科等のあり方について教育内容・方法の両面から再検討を加え、生徒の適性・能力・進路に対応するとともに、職種の専門的分化と新しい分野の人材需要とに即応するよう改善し、教育内容の多様化を図る」と宣言されていたことに明確に表れている。

しかし、こうした産業界からの需要に即応した職業学科を量質ともに整備しようとする政策方針は、’70年代に入ると急旋回する。’71年に文部省が実施した、中学校および高校の進路指導実態調査において、職業学科に不本意入学者が多いという結果が出たことが大きくクローズアップされ、その後の高校政策は、職業学科の多様化の抑制に留まらず、職業学科の量的規模の抑制へと傾いてゆく。

私が疑問に思うのは、その旋回があまりにも急であったように見えることだ。確かにこの時期、高校進学率の上昇に伴って、その後の大学進学可能性をもにらんだ普通科志向が保護者や生徒の間で高まってきていたことは事実だっただろう。しかし、上記の’71年調査においても、生徒の高校への満足度には普通科と職業学科の間でほとんど差はないし、’75年に文部省が企業に対して実施した調査では、職業学科の卒業生に対して産業界が高い評価や期待を寄せていたことがうかがわれる。

それにもかかわらず、「職業学科不要論」に近いような風潮が濃くなり、普通科ばかりがこの時期以降に増加していったことには、何か別の背景があったのではないか。仮説のひとつは、’70年代後半に、大都市を中心とした8都府県において高校進学者数の急増が見込まれており、早急に高校を増設する必要があったということである。折しも、’73年の石油危機により、国や自治体の財政はきわめて厳しい状況にあった。その中で大都市に多数の高校を新たに開設しなければならないとすれば、設置や維持の費用が比較的安価である普通科高校を増やすことが、財政面では得策だったのではないか。為政者はそのような目論見を正当化するために、人々の普通科志向に乗じ、むしろ煽ってさえいたのではないか。そしてその陰で、特に地方において一定の厚みで存在した、高卒後の就職を希望する保護者・生徒や、地域経済を担う中小企業の、職業高校へのニーズは、ますます満たされにくくなり損なわれてきたのではないか。

この仮説を確かめるには、より多くの史料を収集して裏付けてゆく作業が必要であることはむろんである。しかし、もしこの仮説が、事態の一部なりとも言い当てていたとすれば、そうした政策上の選択は、高校教育の職業的意義の希薄化という、現在にまで長く尾を引く禍根を、日本社会に残したのではないかと考えている。

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