点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

「キャリア教育」より「仕事のリアル」

2013年12月02日
「キャリア教育」より「仕事のリアル」
 本田由紀(東京大学大学院教授)  2013年12月1日

先日、ある県立高校の1年生に対して、「仕事のリアル」を伝える実験授業を実施させていただく機会を得た。その実験授業とは、金融教育と労働法教育という2種類の授業を生徒に受けてもらい、事前と事後に調査を実施して授業の成果や課題を把握するというものである。各授業の内容は、それぞれの分野について詳しい専門家の方と私とで、何度も話し合いを繰り返して作り上げたものである。高校1年生でも関心を持ってもらえ、かつそれぞれの分野の「リアル」を少しでも体感してもらえるように、映像やインターネットサイトを活用し、数人のグループでのディスカッションや発表、ロールプレイなどをできるだけ盛り込んだ。

このような実験授業を実施した理由は、現在の教育現場で実施されている「キャリア教育」の有効性に対して私が疑問を感じてきたことによる。職業観や勤労観、あるいは基礎的・汎用的能力を身につけさせるものとしての「キャリア教育」は、実際には社会人講話や職場体験や自己分析シートなどの形で実施されているが、まずは「仕事のリアル」を、きちんと作り込んだ授業で伝えておくことが必要なのではないかと考えたのだ。様々な仕事分野がどのように成り立ち、人々がそれらを動かしているかをしっかり知らせるためには、理想的には、年間を通した授業計画を策定する必要がある。今回は、そのごく一部として、金融教育と労働法教育という2つの分野を選定して実施した。金融は、1つの産業であるとともに、あらゆる仕事やビジネスを遂行する上で不可欠の事柄でもある。労働法も、「ブラック企業」という言葉の普及に見られるように、仕事の世界の荒廃が進んでいる現在、すべての人々が備えておくべき知識と姿勢である。

生徒数が多かったため、実験授業は体育館と武道場で行われた。各90分と長かったことや、生徒にグループになってもらっていたことなどのためか、途中、やや疲れたりふざけたりする様子も見られた。発表を促すと顔を伏せて恥ずかしがる仕草なども、日ごろ大学生を相手にしている私には目新しかった。伝わっているのだろうかと、不安がよぎった。

2つの授業が終わって、最後に私が少し話した。「仕事のリアルとは、『夢をつかもう!』とかのぴかぴかしたものではありません。地味な毎日の営みや、切ない思いや、時には酷い働かされ方や、明と暗がモザイクのように入り混じる世界です。学校の生徒である間は、そういう現実に生々しく触れる機会はあまりないでしょう。あなたたちを守りたいという大人たちの気持ちが、結局はあなたたちを繭の中にくるみこんでしまっているのです。」

生徒たちが書いてくれた事後アンケートからは、私が授業中に感じた不安が杞憂だったことがわかった。うれしかった。

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