点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

前へ歩こう正真正銘の民主主義

2014年02月03日
前へ歩こう正真正銘の民主主義
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2014年2月3日

今年は明治一四七年、近代以来一世紀半になる。明治といえば文明開化である。英雄豪傑ならぬ普通の人々がどのように時代を見つめ、自分自身を育てていかれたのか。想像すると茫洋とした心地になる。わたしが社会人になった一九六〇年代も文明開化だった。三種の神器が生活を大きく変貌させつつあり、いわば鹿鳴館の大衆化であった。しかし、自分が文明開化を推進している当事者の一人だという意識がなかったなあ。歴史を学ぶ意義の一つは――社会は人々の精神的生産物である――ことを知るためではなかろうか。

明治維新は封建社会を倒す革命ではなかったが、大変化の時代が開始した。普通の人々は、まあ、くっついていくのが精いっぱいだったであろう。天賦人権論に瞠目しても、平等の意味が容易に理解されるものではない。大正生まれの母の娘時代は一九三〇年代後半であった。「本を読むような娘は先が心配だ」と批判されつつ読書した。なおかつ現代に至るも男女平等が過去の問題になっていない。

一五年戦争に敗北して憲法は正真正銘の民主主義になった。「なった」のであって「した」のではなかった。わが国において、歴史が問題になる最大要因がここにある。朕は国家、から、主権在民に代わった。まさに一八〇度の転換である。精神・思想の歴史が前後で完全に断絶している。それをきちんとつなぐためには、近代以来のわが国の正統な歴史評価が必要である。しかし、相変わらず敗戦に至った歴史を認められない人々の声が大きい。いうならば、近代以来、封建思想の根強い残滓が人々のオツムを依然として支配している。

大久保利通(一八三〇~一八七八)は明治の初め「世界には民主政治と君主政治がある。わが国はまだ民主にすべきでない。君主を捨てるべきでない。しかし、将来開化が進めば君主専制を固守すべきでない」といった。最近のわが政治状況を眺めると、この一世紀半、果たして日本人は進化したのであろうか。

「宗教はアヘンである」といった人がいた。「権力はもっとアヘンである」といいたい。権力亡者に牛耳られない社会を作るのは、普通の人だ。つまり、わたしである。後ろへでなく、前へ歩こう。

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