点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

基本的人権を守り抜こうとするのが自衛権の本質

2014年08月01日
基本的人権を守り抜こうとするのが自衛権の本質
 
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)   2014年8月1日

小学三年女生徒が、苛められている生徒をかばって起った。そのためにボコボコにやられたという。この報道が強く印象に残った。

相手は三人、しかも彼女は人並み以上の力をもって彼らを屈服させたのではない。苛められる生徒の代わりに自分を挺した。力があって不義を撃つのではなく、力がなくても不義を正す。非暴力抵抗主義の見本ではないか。その倫理観・正義感を見習いたい。

一人が起って、それに呼応する生徒がいればさらに素晴らしかったけれど、それでも、きっと他の生徒たちの心に無関心を吹き飛ばす一陣の風が吹いたのではあるまいか。なによりも苛められていた生徒の心に人間に対する信頼が刻印されたに違いない。「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎)を初めて読んだときの共感が蘇った。

勤め人の世界では、相変わらず個別労働紛争が年間百万件を超している。解雇、イジメ、パワハラ、セクハラなどなど。さらに多くの方々が長時間労働、取れない有給休暇、不払い労働に耐えている。荒れる教室あれば荒れる職場あり。法律を厳しくして監視すれば解決するという期待は裏切られる。いかに立派な憲法があろうが、労働三権があろうが、法が人々を守るのではない。人々が法を守って起つしかない。女生徒の行動は民主主義の意義を大人たちに示唆している。

T・ホッブス(一五八八?一六七九)が、自然状態において「万人敵視」論を唱えたけれど、荒れるのは  すでに葬り去ったはず  のホッブス的亡霊が、わが社会を徘徊しているというべきだ。荒れる教室も、荒れる職場も、その本質は憲法の核心たる基本的人権が脅かされていることに注目し、対処せねばならない。

基本的人権を守り抜こうとするのが自衛権の本質である。仮想敵を設えて自衛権を振り回すのが当世流行だが、その以前にわが民主主義事情をじっくりと考えねばならない。

自衛権なるものは、力を持ったどなた様かが発揮してくださるのではない。問われているのは一人ひとりの決意である。まして国内が荒れているのを無視して、ささやかな物理力! に依存するなど、空理空論をかざしているようなものである。

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