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点鐘 [連載コラム]

欧州人の精神的健康に学ぶ平和


平和とは何だろうか?
単に直接的な戦闘行為が展開されていないだけではなかろう。
精神的な健康を個人も国家権力も確立することではなかろうか。精神的健康の確立こそが最善かつ現実的な安全保障ではあるまいか。
偉大な現実的見本がある。統一欧州、欧州国家へ歩もうとする欧州人の精神的健康をこそ、われわれは学びたい。
統一欧州、欧州国家という超国家を形成するためには、超国家の思想が必要だ。「祖国と人類」という対立関係を総合する(synthese)という考え方(哲学)が必要になる。
愛国者が人類愛を持たない(持てない)論理に嵌ってはならない。そこに嵌ったから戦争という出口のない状況に陥った。戦争が理想も現実も破壊してしまうものだ(P・ヴァレリー)という言葉は正しくかつ重たい。これ、戦争反省の人間性の深さを感ずる。
軽々に愛国主義を振り回しても歴史的進歩にはつながらない。
A・マルシャル(1907?1968)は、次のように考えた。
①統一欧州・欧州国家とは、国民的統合の破壊という否定的な意味ではなく、より積極的な意味において理解されなければならない。
②欧州統一を脅かすものは愛国主義の過剰ではない。それは欧州人の公民意識の欠如にある。
③真の世界市民とは、愛国主義を乗り越えていくものだ。
新聞の読者欄には、立派な意見が並んでいる。昨今の政治事情からして反戦・平和に関して書かれているのを読むと、共感することが少なくない。ただし、一貫して気がかりなのは自分の歴史観がない。
つまり「感性」だけになっている。かつての反戦・平和運動も大方は感性的なエネルギーが発揮されたもので、歴史的洞察や反省が不十分であった。だから勢いが失速してちんたらもたもたしている間に、昨今の奇妙な国情ができあがってきたのではあるまいか。感性=陥穽であることをよほど心せねばならない。
EUは民主主義思想が国境を超えて連結したものである。わたしたちは果たして国境を超えるほどのデモクラチストなのであろうか。