点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

鉄道唱歌北陸編

2015年07月01日
鉄道唱歌北陸編
 
 伊藤宏一(千葉商科大学 人間社会学部教授)  2015年7月1日

「汽笛一声新橋を」という鉄道唱歌ができたのは明治の始めではなく、日清戦争後の1900年で、大阪の出版社が地理教育用に出版した。鉄道唱歌は、第1集の東海道編だけでなく、この年のうちに第5集関西・三宮・南海編まで出版された。第2集奥州・磐城編、第3集山陽編の次が第4集北陸編で、新潟や金沢などが歌われた。

興味深いことの一つは、出発駅で、東海道編は新橋、奥州・磐城編と北陸編は上野、山陽編は神戸、そして関西・三宮・南海編は網島(大阪)であり、東京駅と大阪駅は入っていなかったことだ。東京駅はできたのが1914年だから無理もないが、大阪駅はあったにも拘わらず、有力な駅と評価されていなかったのだろう。20世紀初頭、東京も大阪も鉄道の世界では、中心ではなかったのだ。

さて北陸編を見ると、これがまたとても興味深い。

「長岡の町は名だたる繁華の地」「川のかなたは新潟市 …戸数万余の大都会」

「富山は越中繁華の地」「商業繁華の高岡」

「ゆけば金沢ステーション 百万石の城下とて さすが賑ふ町のさま」

「…福井駅 ここに織り出す羽二重は 輸入の高も数千万」

 北陸の主要な都市は20世紀初頭、みな繁栄していたのだ。

考えてみると、江戸時代、北陸を往来した北前船は、蝦夷地から日本海側各地と瀬戸内海を経由して大坂や全国へつながる物流の幹線であり、米や紅花、木材、織物など各地の産品が大量輸送された。日本海側には、能代、秋田、酒田、富山、金沢など、新田開発や豊富な水量による豊かな稲作と並んで、文化や工芸が発達した都市が多く現れた。特に金沢は、「加賀百万石」の城下町と呼ばれ、三都に次ぐ、名古屋と同程度の人口(10万人以上)を誇った。越後は江戸時代に人口が増加し、武蔵や陸奥に次ぐ人口をかかえていた。明治になっても新潟県は、1873年?1876年、1881年?1883年、1887年?1893年と、東京府を超え日本一の人口の県だった。

その後100年余り経ち、北陸の経済と北陸に対する人々の認識は、すっかり変わってしまった。表日本と裏日本というコンセプトの浸透もあり、とりわけここ50年の東京一極集中が、北陸の豊かさを覆い隠し奪ってしまったのだ。

北陸新幹線の開通が、北陸の新たな繁栄の幕開けとなるようにしなければならない。ローカル線を廃止したり、駅ナカの東京資本が観光のお金を吸い取って東京に向けるのではなく、地元の農林水産業や商業などに資する形で発展することが大切だ。北陸の原発を無くして再生可能エネルギーを広め、中国・韓国等との平和な友好関係を確立することも重要な課題だ。

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