点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

伊能忠敬のご隠居計画

2007年04月23日
伊能忠敬のご隠居計画
伊藤 宏一(千葉商科大学大学院教授) 
2007年4月23日

伊能忠敬は49歳で家督を長男に譲り隠居した。忠敬の父は44歳、祖父は45歳で隠居、つまりリタイアした。武士でも一般に50歳頃には隠居できたので、49歳の隠居は年齢的には普通だった。

忠敬のご隠居計画つまりリタイアメントプランの中心となるライフワークは、周知のように、歴史上初めて実測
の全国地図を作ることで、そのためにまず天文暦学を学ぶ必要があった。千葉から江戸に転居し、19歳も年下の天文暦学者高橋至時について、老人とは思えぬ
情熱で学問に取り組んだ。資産形成は十二分にできていたので、京・大阪から観測に必要な器械を黒門町の自宅に取り寄せたり、大枚をはたいて江戸の職人に作
らせたりし、幕府の天文台に比べても見劣りしない観測機器類が整備された。

5年という勉強で知力を磨いた後、幕府の許可を得て、55歳で奥州・蝦夷の測量から始めて全国地図作成のラ
イフワークに取り掛かった。幕府の許可を得るためには自費が前提だったが、もちろんその財力は十分にあった。飛行機も電車ももちろんないから、全国を回る
体力も必要で、十分に足腰を鍛えていた。そして何よりも歴史的な実測の全国地図作りで人々の役に立つんだというライフワークへの志と情熱とやりがいで、気
力もみなぎっていた。つまり知力・財力・体力・気力という4つの力が準備されていた。

最近学会もできたジェロントロジー(加齢学・老年学)によれば、高齢期こそ精神が発達し知恵が形成され、自分の要求や思いに従って自由に行動する可能性ができるという。伊能忠敬は、こうした肯定的な高齢者像の典型ではないかと思う。

さて忠敬は江戸時代の人としては長寿で、73歳で志半ばにして亡くなった。しかし弟子たちが仕事を引き継
ぎ、3年後に「大日本沿海実測全図」「大日本沿海実測録」が完成し、幕府に上程された。団塊の世代の方々がめざすべき、人生の後半に社会貢献で花が咲く、
美しくすばらしい人生の1つがここにある。

 

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