点鐘 [連載コラム]

写真
点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

虚像に過ぎない権力

2015年12月01日
虚像に過ぎない権力
 
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2015年12月1日

あれから四〇年…一九七五年が国連婦人年であった。

当時、あちらでもこちらでも、女性の発言を求める活動・行事が開催されるようになった。「女性の地位向上のために男性はもっと理解と協力をするべき」という女性に対して、「日本にはまだ封建制の遺制がありますから一朝一夕には……」などと本音を吐いてとっちめられた男性は少なからず。

「学校出るまでは男女の能力差なんてなかったじゃないの」と、女性が口にするとき、実際は女性のほうが成績がよかったという雰囲気が漂っている。脛に傷もつというか、心当たりのある男性が「女性はプロ意識に欠けるのじゃないかしらん。結婚したら辞めるから…一種の甘えがあるし」と反論を試みるが、「なに言うてんの、家事育児を女性に押し付けているのは男じゃないの!」とさらなる一発食らわされる。「婦人年の意味はね、男性が女性の立場をつくづく考えてみることなのよ」と指導された男性も少なくなかった。

メキシコの世界大会へ出席した某女性は組合委員長に「母性保護とか生理休暇なんてことばかり言っていたらダメなんです。料理教室やらメーキャップ教室やっとけばいいなんて思っているのじゃありませんか。女のうらみ、つらみというものは積もり積もっているんですからね」と啖呵を切ったりした。こういう場合、男性は度胆を抜かれて、アルカイックスマイルを浮かべるわけだ。

極め付けは、リブの闘士・OR女史であった。組合活動における女性差別問題の取り組みが弱すぎるではないか。自分専用の妻をもつ労働者は労働者たりうるか。主婦は孤独だ、ノイローゼが増大している。女性と男性が手を携えて未来を語り得るようにならなければ、男女平等ではないし、差別された女性を放置した労働者は結局女性に手かせ足かせとなられて、自分自身の人生を向上させえない。組合文化は、女性問題と正面から対峙しなくてはダメだ、と火を噴くような主張を展開したのであった。大方は男の組合であった。

昨今、夫婦で育児に励んでおられる姿に接し、なるほど歴史というものは、音を立てて変化するわけではないが、やはり、ジワジワと、変わるべくして変わっている。わが国の民主主義は先に制度が変わったのだけれど、遅々として歩んでいるにしても疑いなく戦後デモクラシーが成熟している。それを理解しない権力なんてものは、所詮虚像に過ぎないと確信するのである。

pagetop