点鐘 [連載コラム]

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点鐘(テンショウ)とは、航海者に30分毎に時を知らせる鐘の音のことです。帆船時代には4時間(八点鍾)単位に当直を組み、大海原へ乗り出しました。 この連載コラムでは、各界を代表する方々が、自由なテーマで時代の点鐘を鳴らします。

考える余裕

2016年04月01日
考える余裕
 
 奥井禮喜(月刊ライフビジョン発行人)  2016年4月1日

「WLB(ワーク・ライフ・バランス)にとりくんでいるが、組合員に十分腹落ちしていない。どうしたものだろうか」という相談をうけた。「当然でしょうね、仕事と生活の調和というような理屈が間違っているからですよ。あるべき(ありたい)生活(があるとして)、それを邪魔しているのが長時間労働なんだから、各人の裁量で仕事と生活の均衡を図れというのではなくて、超時間労働問題と正面から対峙するってのが筋道でしょう」。失礼ながら《WLB憲章》なんて、普通の働く人からすれば隔靴掻痒。まず働く人の「生活」を規定して、なにがそれを邪魔しているかみんなでお考えいだたくのが一番大事だ。どんな問題でも、まず問題の核心を押さえねば解決できるわけがない。日々の生活がまあ大きな不足なく、かつ考える余裕が必要だ。そもそもWLBを考える余裕がないのではあるまいか。考えなければ世の中はどんどんおかしくなる。

天下国家も似たようなものだ。単純に「最大多数の最大幸福」を振り回して、多数決が正義であると思い込むとき、すでにデモクラシーではなくなっている。この程度の理屈は大概の人が理解しているというのが私の常識だった。しかし昨今の常識は議会を制する多数を確保すれば、多数派はなんでもできると信じ込んでいるらしい。少し考えればわかることだ。もし、多数が常に正義という前提に立つのであれば、議会は存在理由を失う。いかに長時間審議を重ねようと着地はすでに予定されている。少数派の主張など馬耳東風、馬の耳に念仏、ただ審議したという時間を重ねるだけで消化試合に過ぎない。法律とは、上からの命令や強制で効能発揮するものではない。人々がいかに納得するかをこそ、その法律の前提条件としなければならない。

メディアが真実を報道しているか。いやメディアに対して政府与党の巧妙なブラフ(脅し・はったり)がかけられているとの批判が絶えない。そもそも視聴者からすればメディアが権力批判にウツツを抜かしているとは到底思えない。「負けるなメディア」の声もある。しかし、報道が制約されるのはメディアの問題ではない。報道によって生活している「自由人」たる人々が、知らずしらず不自由人=精神的囚人の《名誉ある地位》に嵌められることである。

「余暇=正気に戻った時間」とおいてみれば、ことの深刻さがひしひしと迫ってくるのではあるまいか。

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